年間に26億円ずつ返済する計画

【鈴木】難しかったですね。当時、夕張は年間収入8億円で、年間に26億円ずつ返済する計画でした。数字を見たら、どう考えてもミッションインポッシブル。毎年乾いた雑巾を絞るようにして返済しているのに、これを繰り返すと、さらに地域が厳しくなって結果として返済できなくなります。お金を返すことと地域を再生することが両立できるような計画に見直すべきだと考えていました。

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所へ入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。

【田原】鈴木さんはいったん任務を終えて東京に戻りました。ところが11年に夕張市長に立候補した。東京都の職員から市長になれば、どれくらい年収が下がる?

【鈴木】年収は200万円くらいです。それ以上に大きいのは退職金。公務員は退職金が出ますが、夕張市長になると何年やっても退職金ゼロでした。

【田原】鈴木さんは婚約されていたそうですね。婚約者はよくOKしたね。

【鈴木】当時は入籍直前で、ちょうど家を買って住み始めたタイミングでした。いまならまだバツがつかないけど、ついてきてほしいと言ったら、「私はアラサー。ほかに交際している人がいれば比べて選ぶかもしれないけど、交際している人はあなたしかいないから、ついていく」と。

【田原】彼女の決断はすごいですね。

【鈴木】はい。私以上にすごい。

【田原】もちろん鈴木さんの決断もすごい。選挙で勝つために必要な地盤、看板、鞄を何も持ってない。よく挑戦する気になりましたね。

【鈴木】そういう政治的なことが何もわからなかったから決断ができたのかもしれません。当時、背中を押してくれたのはチャーチルの「お金を失うことは小さく失うことだが、名誉を失うことは大きく失うことだ。しかし、勇気を失うことはすべてを失うことだ」という言葉。ここで勇気を持たないと、一生後悔すると思いました。

【田原】石原慎太郎に「とんでもない勘違い野郎だ」と言われたそうですね。

【鈴木】悪意の言葉じゃないんですよ。その後、石原さんは「そういう男を、俺は殺しはしない」と続けました。当時、自民党の幹事長は息子さんの伸晃さん。私は自民党と戦うことになりましたが、石原さんは夕張に来て応援演説までやってくれたんです。「俺は自分の都知事選で期間中2回しか演説していないのに、なんでおまえの選挙で3回も演説しなきゃいけないのか」と言っていましたが、選挙カーの上で裕次郎さんの歌まで歌ってくれるサービスぶりでした。

【田原】石原慎太郎は面白い男でね。

【鈴木】稀有な方ですよね。あれだけ尖った発言をしても辞任にならなかったというすごい人です。

【田原】実際に選挙を戦ってみてどうでしたか?