古都・奈良は歴史的建造物や名所の溢れる観光地だ。だが、奈良駅周辺は36万人都市の市街地でありながら、めぼしい商業施設もなければ、ホテルも少ない。そのため、観光客も、日中に奈良をまわって、食事や宿泊は京都や大阪に移動してしまう場合が多い。なぜ、こんなにも発展していないのか。『万葉集』研究の第一人者である奈良大学文学部・上野誠教授の回答とは――。
“偉大なる空洞”はアイデンティティ
奈良の街の中心で一番広いところは平城宮の跡地であり、そこは史跡保存をしているので、建物を建てられません。そのため、鉄道も道路も建物も、平城宮跡を迂回した街づくりがされているわけです。
商業地はJR奈良駅と近鉄奈良駅と大和西大寺駅とに分断され、飲食店は新大宮駅周辺に集中している。つまり、奈良で一番よい土地は1300年前に宮殿の敷地になってしまったがために、現在では大きな空洞となってしまっているのです。私はそこを“偉大なる空洞”と呼んでいますが、奈良の市街地は発展しようがないのです。
そもそも、なぜ、平城宮跡には建物が残っていないのか。その理由を知るためには、当時の遷都と、天皇の仕事について学ばなくてはなりません。
8世紀まで、都を移す「遷都」が、天皇のもっとも大きな仕事でした。そのことは、『古事記』や『日本書紀』に、天皇の功績の第一番としてどのような居所をつくったのかが記されていることからも伝わってきます。また、『万葉集』にも遷都にまつわる歌は数多く残っていて、710年に奈良に都がおかれた際には、元明天皇がこんな歌を残しています。
飛ぶ鳥の 明日香の里を 置きて去なば 君があたりは 見えずかもあらむ(巻一の七八)