「エラい人」をもてなすため、ヘラヘラと愛想笑いを浮かべる人がいる。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏は「私はあるときから愛想笑いをやめた。愛想笑いを続けなければ、仕事できないという人生は惨めだ。もっと自分に正直になったほうがいい」という――。

『美味しんぼ』の名エピソードで語られたこと

漫画『美味しんぼ』屈指の「いい話」として知られるのが、コミックス11巻に収録された「トンカツ慕情」という回である。

1950年代、額に汗して肉体労働をする若い男性が、日雇いの給料をもらうところから物語は始まる。寒くなってきたからオーバーを買いたいが、現在の経済状況だと新品は無理だな……若者はそんなことを考えつつ、日当を持って渋谷の街を歩いていた。そして不運にもチンピラ3人組に絡まれ、狭い路地に連れ込まれてボコボコにされたあげく、カネを奪われてしまう。

そこにやってきたのが、髭をたくわえた紳士だ。その紳士は警官を呼んでチンピラを退散させ、乱暴されていた若者に肩を貸す。そして、自身が経営する「恋文横丁(東京・渋谷にある飲み屋街)」のトンカツ屋に連れていく。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/jrobertblack)

若者の目の前にトンカツ定食を置く店主。若者は「ぼ、僕 金ありません。さっき奴らに取られちゃったから!!」と遠慮する。しかし、店主は「いいからおあがりよ、私のおごりだ」と男気を見せる。若者はこのトンカツを実においしそうに食べるのだが、店主は「なあに人間そんなにえらくなるこたあねえ、ちょうどいいってものがあらあ」と前置きしたうえで、こう続ける。

「いいかい学生さん、トンカツをな、トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ。それが、人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ」

「ちょうどいいくらい」の基準をどこに置くか

なぜこれが「いい話」なのかは、実際に作品を読んでいただきたいのだが、仕事をしていて日々感じるのが、この「ちょうどいいくらいってとこ」をどこに置くかの重要性である。

実は先日、「あぁ、自分は『ちょうどいいくらい』の状態になれてよかった……」とつくづく感じ入った出来事があった。

その仕事は広告絡みの案件で、とある一般家庭を取材するものだった。現場には広告主、広告代理店、制作会社、カメラマン、そしてライターの私がいた。総勢6人である。広告主が表現したい内容を、一般のご家族から聞き出し、それをコンテンツ化する仕事だ。