会社員時代、先輩から愛想笑いを求められる

当時、私はPRプランナーとして、営業の人間とともにクライアントとの打ち合わせや記者会見の現場などに出向くことが多かった。営業担当はクライアントと日々接点があるものの、プランナーは特別な打ち合わせや本番当日にしかクライアントとは会わない。

イベントの現場では、クライアントと営業の人間、私の部署の先輩なども含めて、雑談に興じることがよくあった。というのも、イベント自体はイベント会社のディレクターやアルバイトスタッフが精力的に動いて現場を回してくれるので、クライアントや広告代理店の人間はそれほど忙しくないからだ。ときおり、現場スタッフから何かを確認されたり、判断を求められたりしたときに対応する程度で、どちらかといえば手持ち無沙汰になる時間のほうが長い。それゆえ、バックヤードなどで雑談に興じることになるのだが、あるとき、営業担当の先輩社員から「ちょっと……」と外に連れ出された。

「なんでお前はクライアントがいる前なのに笑わないの?」
「いや、別に誰かが面白いことを言っているわけでもないので、笑ってないだけです」
「あのさ、そういうことじゃないの。笑うべき場面ってもんがあるから、そこは空気を読んで、笑うべきときはちゃんと笑ってくれ。オレだってクライアントとの関係をよくするために頑張っているのだから、協力してくれよ」
「わかりました」

自分の本心と向き合い、愛想笑いを捨てる

かくして私も、以降は愛想笑いをするようになったのだが、これは会社どうしの関係性をよくしたいという思い以上に、自分の身を守るための処世術だったのかもしれない。「笑うべきときは、笑え」と指摘してくれた営業担当もバカではないから、愛想笑いをすることが最適解だと考えていたのだろう。案件にアサインされたプランナーとしては、アカウントを握る営業担当の意向に従わざるを得ない。

あれから約20年。私はライター・編集者・PRプランナーとしては相当なオッサンになった。今年で46歳になる。もはや、自身の本心を押し殺してまで愛想笑いなんぞしたくない年齢である。若者であれば、身を守るために愛想笑いという“鎧”が必要かもしれない。だが、フリーランスの立場で46歳にもなってもまだそんな鎧が必要なのであれば、そんな人生は惨めなだけだ。実際、前述の取材では、私がそこにいた人間のなかでもっとも年上だった。

いや、実際のところ、年齢すら関係ないだろう。重要なのは「みなが愛想笑いをするなか、自分だけは本心を貫き通せるか?」という葛藤に対して「YES」か「NO」のどちらを答えるか、ということなのだ。余計なプライドかもしれないが、自分の本心と向き合い、「愛想笑いはしない」と決断できることが肝要なのである。そうした姿勢を持つことで初めて、自我を確立することができるようになる。