離れた場所で暮らす年老いた親にどう向き合えばいいのか。社会学者の春日キスヨさんは「親と別居している子世代は親の生活を把握できず、入院やゴミ屋敷化して初めて親の異変に気づくケースが多い。『子供には迷惑をかけたくない』という親心が異変を見えづらくさせていることに注意してほしい」という――。(第1回)
※本稿は、春日キスヨ『長寿期リスク 「元気高齢者」の未来』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
「家族であるからこそ」難しい
親と離れて暮らす子世代が、在宅で過ごす長寿期の親の暮らしの実態に触れる機会は少ない。そのため、実情に即して親の生活を等身大に理解し、必要な支援をしていくことは、なかなか難しい。
しかも、一般の人が持つ社会通念の根底に、性別役割意識、夫婦関係規範があるとき、子どもの側もそうした通念を分かち持つ。また、親の生活を子どもが実情に即して理解し、親子で話し合い、冷静に手立てを考えていくことは、「家族であるからこそ」難しい面がある。
なぜなら、家族以外の人が「他人ごと」としてそれを見る場合と異なり、夫婦間、親子間では、家族特有の規範、長年の習慣化した関係性が働き、事実を事実として見ることを難しくする部分があるからだ。
とりわけ、家事を担い、家族の関係性をつなぐ役割を担うことが多い女親の方が先に弱った場合、問題が外の人に知られることがないままに過ぎ、子どもが知るのは親の生活がどうにもならなくなったとき、ということになりかねない。
たとえば、地域包括支援センターの支援者は、「高齢の親の思いの一番は、子どもに迷惑をかけられない、面倒をかけてはいけないというもので、親の生活実態は子どもに伝わっていないと思います」と語っていた。こうした関係性は、この支援者が住む地域に限らず、広く見られるものである。