なぜ田中角栄元首相は、いまも根強い人気があるのか。政治評論家の小林吉弥さんは「田中氏は地元の市長や町長からお金を渡されたときも、『キミも必要だろうから持って行け』といって必ず1~2割を返していた。金を配り、気を配り、人々の心をつかんで離さないおもてなしの人だった」という――。(第2回)

※本稿は、小林吉弥『田中角栄 気くばりのすすめ』(ビジネス社)の一部を再編集したものです。

講演する田中元首相
写真=時事通信フォト
1984年9月10日、七日会青年部研修会で講演する田中角栄元首相(静岡県函南町)

角栄が実践していた「10倍の哲学」

「よくも悪しくも保守政治の“陳情ルール”の糸口をつくったのは田中角栄である」と、田中と同じ旧〈新潟3区〉内のある野党議員がこう言ったことがあった。

「国会議員への陳情は手ぶらではダメ、何らかの誠意が必要なこともある。つまり、依頼された人物は陳情処理のために動く足代であったり、そのための役人接待も必要なときがあるわけです。かつての田中さんの場合は、例えば自治体の市長、町長が5万、10万とかを持ってお願いに行っても、必ず全部をフトコロには入れることをしない。

1割から2割くらいは、『キミも必要だろうから持って行け』とやるわけです。これには市長、町長だってワルイ気の起きようはずがない。選挙区に戻るとさすがに“田中人気”にはね返っていて、連中は『田中先生はほかの議員とは違うナ』と、これはもう異常なくらいの敬服ぶりなんです。引き受けた陳情は必ず実現させてみせてくれるということも一方にあったが、カネについての人心収攬じんしんしゅうらんぶりにも、これは端倪たんげいすべからずのものがあった」

田中の選挙区での往時の圧倒的強さの秘密は、こんなところにもあったという話である。

一方で、田中にはカネについて「10倍の哲学」というのがあった。例えば、香典の政界での相場が20万円であったとする。ところがこの場合、田中は躊躇なく200万円を包んでしまうのである。もらったほうは、とにかくケタが違うわけだからこれは驚く。と同時に、さすがにジワジワと田中という人物に興味を持ち出すハメになるのだそうだ。

現に新潟越山会の会員である長岡市の某市会議員などは、奥さんを亡くした際ポンと100万円の札束を差し出され、めまいを起こしそうになったという話もある。某市会議員氏はその100万円で立派な仏壇を買う一方、田中の選挙にはこれまで以上に身を粉にして活動していたものだ。

その後の田中派増殖のウラには、この手でド胆を抜かれてマイッてしまった議員も少なからずいたという話も聞く。

人間は、驚くと改めて対象物を見直すという性癖があることも知っておきたいものである。