高齢者が高齢者を介護する「老老介護」で、共倒れするケースが増えているという。社会学者の春日キスヨさんは「私が話を聞いた90代女性のケースでは、夫の介護と家事に追われ、夫婦生活は限界に達した。『妻が家事を担うのがあたりまえ』という役割意識が女性を追い詰めていった」という――。(第2回)

※本稿は、春日キスヨ『長寿期リスク 「元気高齢者」の未来』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

ストレスのたまった女性
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両親を説得し続け、別々の施設に入所させる

それまでずっと「最期まで在宅」を目指し、「大丈夫」と言い続けていた親から、土壇場になって電話が入る。そんな事態に陥ったとき、子どもの側はどうすればいいか。

親の人生は親自身が決めること。放っておけばいい。自分で何とかするだろう。親が元気で力がある若いときなら、それで済む部分がある。しかし、老いが進む年齢になると、そうもいかない。

親が自力でやっていけると主張し、民間サービスや介護保険などの制度サービスを頑なに拒む場合、子どもは親の意向をどこまで受け入れ、親の願いにどこまで添い続ければいいのか。親の尊厳を守るとはどういうことなのか。

これは、ひとり暮らしの親が「自分の家で暮らし続けたい」「在宅で最期まで過ごしたい」と望む場合も難問だが、父親、母親の二人暮らしの場合、さらなる難問である。

そんなことを深く考えるきっかけとなった出会いがある。父親が97歳、母親が95歳になるまで自宅で暮らし続け、「長年、説得し続け」、最後は「父親を拝み倒して」、両親に「別々の施設に入所してもらった」。そう語る娘の立場の女性、PJさんとの出会いである。

PJさんは74歳。きょうだいはいない。3人の孫育て支援の他に、NPO団体の活動家として、多忙な日々の合間を縫い、両親が80代半ばを過ぎて以降の10年以上、両親宅に通い続け、その生活を支えてきた。

話を聞き始めてまもなく、PJさんが発した言葉は、私にとって驚きだった。