バカッターについて「識者」にコメントを求める意味、ある?
2019年に入ってから、数々の「バカッター」「バイトテロ」が登場したと報じられている。以前、その手の出来事が世間を賑わせたのは2013年ごろだったと言われているが、当時は写真による投稿が中心だった。しかし最近は、インスタグラムなどを用いた動画モノが主役になっているというのが“進化”である。
こうしたバカッター騒動が発生すると途端に取材オファーが増えるのが、私のようなネットウォッチを仕事にしている暇人だ。多くはテレビや新聞からの取材依頼なのだが、もうこの件については改めて取材をしたり、「識者」(笑)から新たにコメントを取ったりしたところで、正直なところあまり意味がないと思っている。
私自身、これまで何度もコメントを求められ、そのたびに同じような説明を繰り返してきた。いい加減、徒労感が募ってきたし、いつまでたってもなくならないバカッターには本当に辟易している。
本稿の言説、好きに流用してください
そこで今回、バカッターやバイトテロに関する私の意見を「決定版」としてここにまとめることにした。これからは一切、バカッター騒動、バイトテロ騒動についてコメントしたくないので、今後、私の意見を使いたい場合は本稿を引用してもらって構わない。
あたかも私に取材をしたかのように体裁を整え、「ネットニュース編集者の中川淳一郎氏は、今回の件について『○○○』と語る」などと、本稿の言説を流用しても文句は言わない。私に取材謝礼として5000円程度のコメント料を支払う必要もない。
なにしろバカッター騒動なんて愚行は、議論する余地もないほど浅薄なものであり、本来、「識者」のコメントなど不要なのである。情報をまとめる記者や編集者、テレビやラジオの制作スタッフだって、本当はわかっているはずだ。
バカッターにしてもバイトテロにしても、次の一言で説明はつく。
バカだから。
これで終わりだ。
いちいち「なぜ若者は画像や動画をネットに投稿するのですか?」とか、「どうしてここまで報道され、世間から非難もされているのに、あえてあのような愚行を世界中に晒すのですか?」などと尋ねられるのだが、ファイナルアンサーとしては「バカだから」と言うほかない。
そもそも「バカ」+「ツイッター」で「バカッター」なのである。こんな端的で素晴らしい造語が2013年に誕生していることからもわかるように、すでに本質は喝破されているのだ。