撮影、録音される可能性のある場所では「品行方正」が合理的

【理由6】人生に対して危機感を持っていないから

バカッターを投稿してしまうのは、要するに「人生に危機感を持っていない」「バカなことをしても失うものはないと思っている」ということなのだろう。もしくは何も考えていないだけなのかもしれない。

正直、いまの私は失いたくないものが多過ぎる。たとえば街中でキレてしまい、動画を撮られでもしたら、それこそすべてを失ってしまうかもしれない。そう考えただけで恐怖である。仮に、相手側に非があったとしても、私が「このクソッタレが、うんこ食ってろボケが、アァ! てめぇ、この低能のアホめ!」などと喚きたてる様子が撮影されてしまったら、「【発狂する中年クソオヤジ】うんこ食うワケねーだろwww」といった動画がネットで公開され、全面的に私が悪者になるに違いない。前後の文脈は関係なく、私がキレている部分のみがクローズアップされ、視聴者にとって真実になるのである。

こうした危機感を持っているがために、とにかく撮影されたり録音されたりする可能性のある場所では品行方正を心掛けている。それは「これまでの45年の人生で積み上げてきたものを、バカ動画一発で失うのはあまりにも割が悪い」と考えるからだ。であれば、録音・録画機材が存在するかもしれない場所では愚行をしない、という判断をするのが合理的だ。

広い世界に目を向ければ、自然と我が身を振り返るもの

【理由7】仲間内でマウンティングをするしかない世界に生きているから

広い世界を知り、そこで活躍する人に目を向けるようになればなるほど「成功体験」のレベルが上がってくるもの。それこそ「東証一部上場企業の役員になる」「起業して会社を成長させ、経営者として一目置かれる存在になる」「MLBに移籍し、年俸20億円を獲得する」など、さまざまな野望や憧れを抱くことだろう。そして、これら広い世界における成功指標というものは、多くの人から受け入れられ、称賛を浴びるものでもある。

また、広い世界を冷静に見つめる姿勢は、一方で自分が置かれている現実を冷静に見つめることにも繋がってくるものだ。その結果、身の丈を知り、謙虚にもなれる。

しかし、バカッターに身を投じてしまう者は、とにかく視野が狭い。せいぜいSNSの「いいね!」の数が多いことや、コメント数が多いこと程度で「オレってイケてる!」と悦に入り、くだらないマウンティングに明け暮れてしまう。「山田の野郎はこの前の投稿で8の『いいね!』がついた。よし、オレは10を目標にするぞ!」なんてことを思い、山田よりも過激な動画を投稿したりするのだ。

あのなぁ、友達の山田に「いいね!」の数でちょっと勝ったところで、お前の価値は上がらないから! もっと言うと、その山田とかいうヤツ、お前の人生において、あと数年もすれば大して意味のない存在になるから! そんなヤツに張り合うのはおやめなさい――若い人には、声を大にしてそう言いたい。10代後半~20代前半の人間関係なんて、30代になればほぼ消滅する。いつまでも過去に囚われて生きる、発展性のない人間を除いては。