デビュー50周年を迎えた伝説のアイドル
今年8月でピンク・レディーがデビュー50周年を迎える。1970年代後半、いまも語り草になるほどの社会現象を巻き起こした2人組アイドルだが、その凄さはミリオンセラーのヒット曲を連発したことだけではない。「紅白」辞退から裏番組出演、本格的海外進出など、当時としては常識を超えたチャレンジをしたアイドルでもあった。
ピンク・レディーは、ミーこと根本美鶴代(現・未唯mie)とケイこと増田啓子(現・増田惠子)の2人組。ともに静岡県出身で、中学時代に出会った。その後デュオを組み、いくつかのオーディションに挑戦。最後のつもりで臨んだのが日本テレビ「スター誕生!」だった。そして見事デビューの権利を勝ちとる。
ただ合格はしたものの、期待が大きかったわけではない。「スター誕生!」で2人をスカウトした事務所は、T&Cというできたばかりの無名のプロダクションだった。
デビュー曲の依頼を受けたのは、「スター誕生!」の審査員でもあった作詞の阿久悠と作曲の都倉俊一である。だが2人にとってもミーとケイの印象はそれほど目を引くものではなかった。
本命からはまったく遠い存在だった
2人がオーディション時に歌ったのは爽やかなフォークソング。衣装もそれに合わせた白いシャツに色違いのサロペット(オーバーオール)。都倉の印象は、「大絶賛というわけではないが、オーディションで落とす理由もない」というどちらつかずのもの。「本命からはまったく遠い存在」だった(都倉俊一『あの時、マイソング ユアソング』)。
レコード会社はビクターという大手だったが、実は新人ディレクターが気に入って個人の判断でスカウトしてしまったというもの。だがそれゆえ、レコード会社の思惑を気にすることなく阿久と都倉は自由に曲をつくることができた。
常識的な路線としては、オーディションでも歌ったフォーク路線か、当時女性アイドルグループではトップの人気を誇っていたキャンディーズの路線。しかし、それではいずれにしてもつまらない。
そこで阿久と都倉がつくった曲が「ペッパー警部」だった。フォークとは正反対のアップテンポな曲で、詞はコミカルな風味もある恋愛ソング。そして何よりも、振付師の土居甫によるダンスが斬新だった。ペッパー警部が歩いているところをミーとケイが足を大胆に開いたり閉じたりする動作で表現するところもある、アイドルらしからぬ激しい動きの振り付けである。

