「下品な振り付け」と言われたが…

レコード会社の編成会議では揉めた。ビクター側は、てっきりフォーク調の曲になると思っていたからである。だが都倉が自ら会議に出向いて押し切った。グループ名も、都倉発案でカクテルの名前から採った「ピンク・レディー」(ほかに静岡出身なので「みかん箱」という真逆の案もあった)に決まった。

そこから、誰もが予想していなかったピンク・レディーの芸能史に残る快進撃が始まった。

1976年8月発売の「ペッパー警部」はオリコン週間シングルチャート4位で60万枚以上を売り上げ、例の足を開いたり閉じたりする振り付けはメディアが「下品」と取り上げる騒ぎになった。2枚目の「S.O.S」では初のオリコン週間シングルチャート1位を獲得する。