アメリカの3大ネットワークで冠番組
さらにピンク・レディーは、アメリカ3大ネットワークのひとつであるNBCで冠バラエティ番組を持った。「Pink Lady and Jeff」(1980年)というタイトルの1時間番組。アメリカのミュージシャンや俳優を招いてトーク、歌、コントを繰り広げる王道のバラエティ・ショーである。
ただ理由が定かではない所はあるが、この番組は5回で終了している。そしてピンク・レディーは日本に戻ったものの、すでに一時の勢いは失われ、1981年に解散することになる。解散コンサートの会場は後楽園球場。あいにくの冷たい雨中での公演になったこともあってより寂しさを感じさせるものだった。
しかしながら、アメリカの3大ネットワークで冠番組を持った日本人はいまのところピンク・レディーだけ。立派な功績だろう。
令和の現在、J-POPアーティストの多くが海外での成功を目指す時代になっている。それを見れば、40年以上前にピンク・レディーが海外進出を目指し、最終的には挫折したもののそれなりの実績を上げたことはもっと評価されてよいだろう。
そもそも歌とともにダンスで魅せるというスタイルを日本において確立した点で、ピンク・レディーは後の安室奈美恵やモーニング娘。、そしてPerfumeやNiziUなどへの道を拓いた。
そして歌うだけでなく踊れるピンク・レディーには、それだけ日本という枠を超えて支持される要素があった。完全に重なるわけではないが、同じアジアからアメリカで人気を博したという意味で、K-POPのBLACKPINKなどに通じるものがあるように思う。
ピンクレディーが日本に踊りを広めた
解散後、ピンク・レディーは再結成を何度か繰り返し、2010年の「解散やめ!」宣言を経て2011年以降はソロ活動と並行して継続的に活動を続けている。
そんなピンク・レディーのコンサートでは、いまも会場が大人も子どもも踊るダンスフロアと化す。
ピンク・レディーの大きな功績は、ダンスを日本人にとって身近なものにしたことだろう。いまや学校の授業科目になったダンスだが、1970年代の当時、アイドルの簡単な振り付けをまねることはあっても、全身を使って踊るダンスは日本人にとって縁遠いものだった。
ところがピンク・レディーの登場によって子どもや若者を中心にダンスを踊ることが日常になった。筆者も目撃した世代だが、当時家庭や学校で我も我もとピンク・レディーを踊る光景は新しい時代が来たことを感じさせた。TikTokなどで誰もがダンスを見せるいまの時代の原点には、確実にピンク・レディーがいた。
要するに参加型エンタメ文化の始まりである。海外進出の件もそうだが、ピンク・レディーはいまのエンタメを先取りし、その礎を築いたパイオニア的存在だった。


