ガバナンスを超えた「独走」を許容する風土
東京地検特捜部は、日産自動車会長のカルロス・ゴーン、同社代表取締役のグレッグ・ケリー両容疑者を、金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の疑いで逮捕した。特捜部の発表によると、2人は共謀し、2010~14年度の5年度分の有価証券報告書に、実際はゴーン容疑者の報酬が計約99億9800万円だったにもかかわらず、計約49億8700万円と、約50億円過少に記載した疑いが持たれている。
18年11月19日の夜10時から、横浜市西区の日産自動車本社で始まった緊急会見。西川(さいかわ)廣人社長は200人以上の報道陣を前に、1人で会見に臨んだ。
「ゴーンに権力が集中していた。長年にわたるゴーン統治による負の側面が出てしまった」「(見抜けなかったのは)会社の仕組みが形骸化し、透明性を失っていたため。ガバナンスに問題があった――」
会見で西川氏は否定したが、今回の一件にはクーデター説もある。戦後の日産の歴史は、企業内での権力闘争の歴史と重なる。
1953年に大労働争議が起こるが、経営側は第二組合と結託して終結。当時の日本興業銀行出身だった川又克二氏が57年に社長に就くと、以降日産は労使協調路線をひた走る。その結果、社内で絶大な権力を長期で掌握したのが労組委員長だった塩路一郎氏だった。
しかし、権力の集中とその長期化は、やはり綻びを招く。80年代に、イギリスへの工場進出をめぐり、当時の石原俊社長と塩路氏は激しく対立。人事畑出身の副社長が中心となり、塩路氏を追放する。
「日産には、なんともいえない奇妙な力、超法規的な権力が生まれてしまう、そんな土壌がある。その後、“俺がやった(塩路を失脚させた)”という社員が日産の中にたくさん現れた」(99年当時の役員)。
ガバナンスを超えた、ハイポテンシャルパーソンによる独走をどこか許容してしまう風土が日産にはある。この文化がうまく働く場合は、最高の成果を生む。だが、逆回転を始めると、負の歴史は繰り返される。