伝統産業の職人と知り合ったきっかけ

【田原】実際、仕事にできたのですか。

【矢島】企画書をつくって、業種に関係なくとにかくいろんな大人の方に渡しました。そうしたら、JTBをご紹介くださった方がいて。JTBが会報誌をつくるタイミングだったので、「各地の職人さんたちの魅力を伝えて、その地域に行きたくなるような記事だったらいいよ」と連載のお仕事を任せていただきました。学生だから試験などがあって毎月だと厳しかったのですが、会報誌は季刊誌だったので理想的。結局、3年間記事を書かせていただきました。

【田原】さすが行動力がありますね。取材先はどうやって探したのですか。

【矢島】当時すでにインターネットはありました。でも、職人さんってインターネット上になかなか出てこないんです。ですから、これも自分の足で探すしかない。霞ヶ関の都道府県会館にある、各都道府県の出張所に通って「若くて魅力的な職人さんを教えてください」とお願いしたところ、様々な方をご紹介いただけました。

【田原】たとえばどこに取材に行ったのですか。

【矢島】1回目は金沢で、金箔の職人さんでした。2回目が愛媛の砥部焼。このとき知り合った大西先さんという職人さんと意気投合して、いまもお付き合いが続いています。

【田原】砥部焼って、どんなものですか。

【矢島】砥部焼は、お茶碗から大皿、壺、花器など、暮らしに必要な日用品を幅広くつくっています。白い陶石を粉砕してつくるので、器も白いのです。和えるでは『こぼしにくい器』というオリジナル商品をお作りいただいています。

【田原】砥部焼の職人さんは何がおもしろかったのですか。

【矢島】私は伝統と革新は表裏一体で、伝統があるから革新が生まれ、革新があるから伝統になり続いていくと考えています。大西さんも同じ考えで、発想に天井がありませんでした。砥部焼の伝統はこうだからダメということは言わなくて、当時から子ども向けのお茶碗などをつくっていらっしゃいました。

【田原】他にはどんな職人さんとお会いになったのですか。

【矢島】その後、お仕事につながったのは徳島県で本藍染をされている矢野藍秀さんです。いまの藍染は、9割以上が化学薬品を使っています。それがいい悪いという話ではないのですが、化学薬品だと色移りしたり深い藍色になりにくいのです。矢野さんは、自然の恵みを活かした天然灰汁発酵建てという技法で染めていらして、色落ちしても色移りがしにくい。すべて自然のものなので、使っていただく方にも職人さんの身体にもやさしいのです。