人の心を動かす仕事がしたい
【田原総一朗】生まれはどこですか。
【亀井智英】生まれは愛知県で、育ちは東京です。
【田原】高校を卒業して、家業の空調設備を手伝われたそうですね。大学に行く気はなかった?
【亀井】いずれ家業を継ぐ気で手伝っていました。大勢の従業員がいる会社ではなく、自分が入れば少しでも役に立つかなと思って、高校卒業後すぐ飛び込みました。
【田原】でもその後、大学に進学しますね。これはどうして?
【亀井】友達とたまに会うと、僕の知らない世界を楽しんでいました。そうした話を聞いているうちにうらやましくなりまして。でも、実際に行ってみたら学校自体は退屈でした。単に隣の芝が青く見えただけでした(笑)。
【田原】じゃあ大学にはあまり行かなかった?
【亀井】イベントスタッフのアルバイトに熱中していました。コンサートやライブの会場設営です。僕がやっていたのは電源の部署。電源はケーブルがあるから、会場に最初に入って最後に出ます。イベントの始まりから終わりまですべて見ることができたのは楽しかったし、拘束時間が長いので稼げたのもよかった。友達に話したら「紹介して」と言われて、みんなでバイトしていました。
【田原】何がそんなにおもしろかったんだろう。
【亀井】自分たちがゼロから携わらせてもらって、ステージにアーティストが来て演奏して、それを見て喜んだり感動して泣いたりしている人がいて。ああ、人の心を動かす仕事っておもしろいなと。このバイトを通じて、僕もできたら人の心を動かす仕事をしたいなと思うようになりました。
広告業界で働く中で、SNSに出合った
【田原】卒業後は電通のグループ会社に入る。人の心を動かす仕事で、どうして広告代理店だったのですか。何か違う気がするけれど。
【亀井】広告の会社に行けばセールスプロモーションをやったり、それに関連してイベントもできると思ったんです。でも、おっしゃるとおりで、少し違いましたね。
【田原】具体的にはどのようなお仕事をされていたのですか。
【亀井】メディアレップをやっていました。インターネットにはさまざまなメディアがあります。それを精査して、優良な媒体だけを代理店に卸すポジションです。どのような広告スペースがユーザーに人気なのかよくわかっておもしろかったですよ。
【田原】それから出向で何度か職場が変わります。次はどんな仕事ですか。
【亀井】メディアレップから一つ上流にあるNTTアドという広告代理店に出向しました。僕は営業ではなく、メディアスタッフとしてメディアの買い付けをしたり、広告主のプロモーションアイデアを考えたりといった仕事をしていました。それから次が電通デジタルビジネス局。ここでFacebookの担当になりました。