スマートフォンのアプリで、国内利用者数No.1を誇る「LINE」。現社長の出澤剛氏は朝日生命保険からライブドアへ社外留学・転籍したという経歴で、ライブドアでは堀江貴文氏のあと、LINEでは森川亮氏のあとに経営に当たるという異色の経歴を持っている。10年前のライブドア事件のときとその後、社内ではどんなことを考えていたのか。すでに大きなシェアを持つLINEを今後どう発展させていくのか。そして出澤氏から見た堀江貴文・森川亮両氏とはどんな人物なのか? 田原総一朗氏と出澤剛氏の対談、完全版を掲載します。

生保会社からライブドアへ

【田原】出澤さんは学校を卒業して朝日生命保険にお入りになった。どうして生保に?

【出澤】何も考えていなかったですね。ぶっちゃけて言うと、とにかく給料がそこそこよくて、楽そうなところがいいなと。でも、入ったら全然違いました。金融機関というイメージで選んだのですが、八王子に配属されて、現場の営業のお手伝いをしていました。

【田原】そこから堀江貴文氏のオン・ザ・エッヂ、のちのライブドアに社外留学した。これはどのような経緯で?

【出澤】私が生保に入ったのは就職氷河期で、八王子には私の下の新卒がまったく入ってきませんでした。一方、八王子の現場には、1回入った若者は手放さないでずっと働かせようという雰囲気があった。私は毎年異動を希望していたのですが、5年経っても「おまえは6年目もここだ」と言われる始末。それで悶々していたら、人事部にいる友人が社外留学制度のことを教えてくれて、外に出たというわけです。

【田原】留学先はオン・ザ・エッヂだけだったのですか?

【出澤】海外留学とか、法律の勉強をするとか、専門性を磨くような出向先が30カ所ぐらいあったと思います。オン・ザ・エッヂは、その1つ。当時、朝日生命がネットで生命保険を販売するプロジェクトをオン・ザ・エッヂとジョイントベンチャーでやっていて、インターネットに詳しい社員を養成しようということで出向先に含まれていました。他の出向先は、英語がしゃべれることだとか、さまざまな基準があったのですが、オン・ザ・エッヂの条件は「独身で、やる気があること」。これなら自分でもいけるなと思って潜り込みました。

【田原】オン・ザ・エッヂに留学して、そのまま転職しますね。なぜですか。

【出澤】1年で戻る予定だったのですが、やってみるとインターネットビジネスが予想以上におもしろくて。生命保険の営業は個人のお宅を一軒一軒回っていく仕事で、自分のやったことが世界にどう影響を与えているのかということが見えにくいのですが、インターネットのビジネスは逆に自分のやったことが10倍、100倍になって返ってくる感覚がありました。それに、人も魅力でした。経営者の堀江さんもユニークだったし、堀江さんが集めてきたエンジニアにも日本の最高峰の人たちがたくさんいて、この人たちともっと仕事がしたいなと。

ライブドアでモバイル事業を成功させ、副社長に

【田原】転職した当時のオン・ザ・エッヂは何人くらい?

【出澤】私が入社したのは2001年で、200人くらいの所帯だったと思います。それから3年後にライブドアに社名変更。上場した資金でM&Aをしながら、会社が急速に大きくなったという感じでした。

【田原】出澤さんはライブドアで何をやっていたんですか。

【出澤】出向から正社員になるなら何か新しいことを一つやれよと言われまして、モバイル事業をやらせてもらいました。当時、iモードやEZwebなど携帯電話のインターネットが立ち上がっていて、モバイルインターネットの中のコンテンツをつくるビジネスが大きくなり始めていました。たとえば着メロとか、占いとか、キャラクターを使った待ち受け画像とか、そういったものをつくっていました。

【田原】その事業はうまくいったの?

【出澤】はい。コンテンツを携帯電話のキャリアさんの圧倒的な訴求力を武器にしてユーザーにお届けできたことが大きかったですね。それに課金も容易でした。一般的にインターネットのコンテンツは課金が難しいのですが、当時は月々300円といった利用料を、NTTドコモさんやKDDIさんの月々の通話料にアドオンして請求できましたから。

【田原】モバイル事業を成功させて、副社長にまでなる。

【出澤】事業を始めて1年後ぐらいの、わりと早い段階で執行役員にしてもらいました。まだ20代のときだと思います。

【田原】そんなに早く?

【出澤】当時、堀江さんが戦略的に肩書をインフレさせていたのです(笑)。海外のvice presidentみたいな意味で、副社長はいっぱいいました。実質的には事業部長のようなものです。