裁判という修羅場で人の本質がにじみ出る
ストレスが限界点を超えたとき、人はしばしば「爆発」する。違法だとわかっちゃいるけど自分を止められない、こともある。マジメなビジネスパーソンもそれは同じだ。被告人として臨む裁判は、人生の修羅場。そこでの言動や立ち居振る舞いに、その人の本質がにじみ出る。
その中には、我々が生き方の教訓とすべきことや反面教師とすべきことがあふれている。『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』『裁判長!これで執行猶予は甘くないすか』(いずれも文春文庫)などで知られる北尾トロ氏のビジネス系裁判傍聴新連載、開廷! 第1回目のテーマは言い訳。法廷内でのビジネスマン被告ののらりくらりとした発言は、まるで先日、有罪判決を受けた号泣元県議、野々村竜太郎被告も同然なのだ。
▼第1回「言い訳」
「あなたは罪を認めているわけですよね」
検察官は、いらだった口調で確認した。はい、と答える被告人。
「ではもう一度尋ねます。あなたは、あなたの意志で衣料品その他、計12万2000円相当の品物を盗んだ。間違いないですね」
「気がついたらバッグに品物が入っていまして、盗んだ記憶はないのですが、では私以外に誰がバッグに入れるのかと言われ、やはり自分がやったのだろうと思って罪を認めました」
「盗んだのですか、盗んでいないのですか」
「……盗み、ました。でも盗もうと思ってやったのではありません」
「盗む気のない人が10数点もの品物をバッグに入れるのですか」
「ウインドウショッピングのつもりだったんですが、見ているうちにどうしても欲しくなってしまいました」
「あなた、盗んだその日に、品物をネットオークションに出品していますよね。転売目的で盗んだんじゃないんですか」
「その気持ちも少しはあったと思います」
ある窃盗事件での、検察官と被告人のやり取りである。一読して、なんてバカな言い逃れをしているんだと呆れるのではないだろうか。だが、裁判ではこんなやり取りが日常的に行われる。証拠は十分、取り調べにも素直に応じ、自分が犯人であると認めているのに、いざ裁判になると言い訳に終始する被告人が多い。いまさら言っても効果があるとは思えない発言を、裁判という“土俵際”に追い詰められた人は繰り返すのだ。
大麻をさんざん吸っておきながら「冗談のつもりだった」。被害者をメッタ刺しにしておきながら「殺す気はなかった」。苦しい、苦しすぎる。