下請け・賃加工は企業として正しいのか

川田達男(かわだ・たつお)
セーレン会長兼最高経営責任者 

私が福井精練加工(現セーレン)に入社した1960年代は、繊維産業の全盛時代でした。繊維産業はもともと日本の基幹産業で、日本の外資の大部分を稼いでいた。いまでいう自動車産業のようなものです。「ガチャマン」といって、機械がガチャンと1回動くと1万円が儲かると言われたくらい、景気がよかったのです。そんな繊維産業にあって、福井精練加工は地元では超優良企業でした。就職するなら、文系の福井銀行か技術系の当社かと言われていたほどです。狭き門をくぐって採用された大卒社員は、私を含めて6人だけ。全員が幹部候補生です。

ところが、入社後の社内研修で、何かがおかしいと感じるようになりました。繊維産業には、製造工程だけでも製糸、織りや編み、染色加工、縫製などのプロセスがあります。これらのプロセスが分断されているのが業界の常識でした。染色加工メーカーだった当社がやっていたことは、取引先から生地を預かり、言われたとおりの色や柄に染めたものを取引先に戻すこと。いわば委託賃加工業だったのです。自分たちでものを企画開発したり、売ったりしてはいない。「これは企業としておかしい、改革すべきだ」と訴えました。

一方で、会社はずっとこのやり方で利益を上げてきたわけですから、それを新入社員が否定することこそがおかしい、ということになります。私の発言は担当役員の逆鱗に触れ、大卒社員のうち私だけが工場勤務になりました。入社早々の左遷です。「お前のサラリーマン生活は終わったな」と皆から同情されました。

当時、転職は一般的ではありませんでしたから、会社を辞めるという発想はありませんでした。現場で5年半、汗を流しました。ほかの同期は皆、営業企画や経営企画、総務などに配属されましたが、賃加工を生業とする会社に企画などありません。そんな部署に配属されても、仕事がないのが仕事だと勘違いするだけです。その点、私は現場に放り込まれ、現場で何が起こっているのかをこの目で見ることができた。この5年半があったからこそ、いまの私があると思っています。人生すべて塞翁が馬です。