「自分の人生は自分自身で変えることができ、それぞれの人生には黄金律(ゴールデン・ルール)、すなわち成功の法則がある」「黄金律とは、こうしたい、こうありたいという目標や夢を強く正確に持つと、それが実現する考え方である」――。
大学時代の恩師から「信念を持って仕事に取り組め」と手渡された本を川田達男が開くと、こんな言葉が目に飛び込んできた。その本は米国の哲学者マーフィー博士の著書『黄金律』だった。
そのとき川田は、同期入社6人のなかで唯一人、工場勤務を命じられ、毎日汗をかきながら現場で働いていた。「川田のサラリーマン人生はこれで終わりだ」と社内で噂されているのを知り、心が挫けそうになることもあった。そんな川田の心のなかへ、『黄金律』の教えは真綿に水がしみ込むようにすっと入ってきた。
川田がセーレンの前身である染色メーカーの福井精練加工に幹部候補生として入社したのは1962年のこと。「当時は繊維が日本経済をリードする花形産業で、『故郷の福井県内で大卒が入社するのなら、福井精練加工か福井銀行』といわれていた。競争率150倍もの狭き門をくぐり抜けたことを、両親はとても喜んでくれた」と川田は振り返る。
しかし、入社後に行われた半年間の実習で目の当たりにした会社の実態は、大学で学んだ経営学の教えとは大きくかけ離れていた。繊維メーカーから織物を預かり、いわれた通りの色や柄に染め上げて返すだけ。その手間賃が売り上げのすべてだった。本来の企業とは、顧客のニーズを掴み、それに合致した製品やサービスを開発し、提供することで対価を得ていくもの。それとは全く違う“委託賃加工業”に甘んじていたのだ。
川田は人事部長へ提出する日誌に「手だけあって、頭のない会社」「市場と向き合い、最終製品をつくらなければ、会社に将来はない」と募る一方の危機感を書き綴った。あくまでも純粋な気持ちを吐露したものだった。しかし、経営幹部はそう取らなかった。「若造が何をいうのか」と逆鱗に触れてしまったのだ。
「その結果が実習後の勝見工場配属という辞令で、大卒新入社員では前代未聞の出来事。同期は経営企画や財務などのエリート部署へ配属されていった。大卒なら新入社員でもグリーン車に乗れる“エリート待遇”が与えられていたが、それらも一切剥奪された。工場勤務のことは、両親には話せなかった」と川田はいう。