部下がついてこない「四面楚歌」の苦悩

大和ハウス工業会長 樋口武男氏

大和ハウス工業を創業した石橋信夫オーナーは、新任の支店長を着任半年後に訪問するのを常としていた。

1974年、私が36歳で山口支店の支店長になると、ちょうど半年後に石橋オーナーがやってきた。

当時の私は、部下から「鬼」と渾名されていた。一刻も早く業績をあげたいと焦るあまり、目標未達の管理職の胸倉をつかまえては怒鳴り飛ばすようなことをやっていた。しかし、焦れば焦るほど部下の心は離れていき、いわば四面楚歌の状態にあった。

山口県知事を振り出しに、石橋オーナーが県内の得意先の挨拶回りをするのに同行した。最後に残ったのが、日本電信電話公社(現・NTT)だった。支部長さんと次長さんに石橋オーナーを紹介し、さて、これで挨拶回りはすべて終わったと帰りかけるとオーナーがこう言った。

「こちらには持ち家でお世話になっているんやろ。直接の窓口はどなたや」
「総務課の課長さんと係長さんです」

私がそう答えると、オーナーはくるりと踵を返し、総務課へと向かった。

無論、私も従ったが、私にしてみれば年中やり取りをしている相手である。「おう、来たで」というようなものだったが、オーナーは深々と頭を下げ、膝を折って名刺を差し出している。

私は「これはきっと支店長としての資質をテストされているに違いない」と直感した。支店に戻ってから、「先ほどは挨拶回りのOJTをしていただいたのですね」と水を向けてみたが、はぐらかされてしまった。

その晩、石橋オーナーと私は湯田温泉の旅館に泊まった。夕食が終わると、「樋口君、一緒に風呂に入ろう」と言う。旅館の大将が古い人で、「オーナーの後にしなさい」と忠告するので部屋で待っていると、風呂場からわざわざ戻ってきて「一緒に入れ」と言う。

オーナーの背中を流し終え、自分の体を洗っていると、急に四面楚歌の苦しさが胸にこみ上げてきた。湯船に浸かるオーナーの背中に向かって、日頃の鬱憤を思い切りぶちまけた。

「支店長として一所懸命やればやるほど、みんな私を怖がってしまって、部下の心が離れていくのです」

しばらくするとオーナーは、
「樋口君、長たるものは決断が一番大事やで」
とポツリと言うのである。