最終警告を受けた
最も厳しかったのは、2011年春である。
母が亡くなり、葬儀を終えて日本へ戻ろうとしていたときだ。母の四十九日に、当局者が現れた。
私は激怒し、声を張りあげた。
「お前にも親がいるだろう。せめて四十九日くらい、静かに送らせろ」
相手は「そうですね」と低姿勢で応じた。私は手土産も受け取らず、持ち帰らせた。
訪ねてきたのは、自治区の公安の幹部たちだった。地元ではなく、フフホトからわざわざ足を運んできたのである。
「あなたは格上げされました。これからは地元ではなく、私たちが直接担当します」
相手は局長クラスだった。
2008年は地元の公安。2011年は自治区の上級機関。当局は、私への対応を引き上げていた。
続いて、最終警告を受けた。逮捕勾留も、国外追放もありうる。これ以上、反中的な発言や行動は慎むように。今回は警告にとどめるから、日本へ帰れ――。
日本へ帰れというのは、私の身を案じての忠告ではない。
「日本はうちの縄張りだ」
私は日本に帰ってから、当局者が放った言葉の意味を思い知ることになる。
(構成=伊田欣司)
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