私の身辺を探った高校の同級生

ガラス工場で謀略に手を貸す側だった私は、数年後に逆の立場を経験する。

1989年に来日し、日本の大学院に籍を置いた私は、91年から92年にかけて、故郷の内モンゴル・オルドスで1年間のフィールドワークに取り組んだ。馬に乗り、草原に点在する家々を訪ね歩く毎日だった。

ある祭礼の光景を写真に撮っていると、やたらと近くに寄ってくる男がいた。年配の痩せた男で、私より背が低い。胸ポケットにペンを差し、いかにも素朴といった顔つきだった。誰かと尋ねると「小学校の先生だ」と答えた。

私は調査の記録を、最初から日本語でノートにつけていた。男はノートを見たがった。「日本語だからわからないでしょう」と言っても、男は引き下がらない。

ほどなく警官が現れ、「撮ってはいけないものを撮った」とフィルムを何本か没収された。写っていたのはお祭りだけ。軍事施設など問題にされそうなものは一枚もない。

翌日、私は安全局へ出向き、フィルムの返還を求めた。受付で局長に会わせろと迫っても、庁舎の空気は威圧的で担当者の返答はそっけなかった。

「返せません。記録として残します」

当時の私には、嫌な役所だと腹を立てる程度の出来事だった。

ずっとマークされていた

1週間ほどたち、オルドスを離れる前日のことだ。友人たちが開いてくれた送別会で、私はひとりの友人に小声で告げられた。

「お前はマークされてるよ」

中国のある博物館から、高さ2mの古い石碑が盗まれた。犯人は私で、日本へ運びだそうとしている――そんな噂が流れているという。問題の石碑は私も見たことはあった。しかし、2mもの石をどこへ隠したというのか。

友人はさらに続けた。お前が外食しているあいだや、旅館に泊まっているあいだに、荷物はすべて調べられている、と。

調べたのは、高校の同級生だという。漢人の彼は中国人民警官大学を出て、安全局に勤めていた。彼は私の身辺を探っただけでなく、私が聞き取り調査した家を一軒残らず、あとから訪ねてまわったらしい。

留守のあいだに荷物を探る。青海省で日本人の金庫が狙われたことを思いだした。プロの仕事だと直感した。

なぜ私が狙われるんだと尋ねたら、答えは短かった。

「お前がモンゴル人だからだ」

中国では、私たちの民族は原則として全員、監視対象になる。私に後ろめたいことは何ひとつない。にもかかわらず、モンゴル人であるという理由だけで、丸裸にされていたのである。

思い返せば、「小学校の先生」もフィルムの没収も、予行演習だった。

1992年、私は初めて、中国が私たちモンゴル人をどう見ているかを悟った。日本で中国政府を批判したから、マークされたのではない。ずっとマークされてきたことを知って、私は目覚めたのである。