禅問答とは、いったい何を問うているのか。円覚寺龍隠庵会首の境野勝悟さんは「禅問答のやりとりは、一人で老師の部屋に入って、一対一でやりとりする。ここで老師は『修行者の内観・静観の修行のふさわしい態度』を注意して見ている」という――。
※本稿は、境野勝悟『読むたびにハッとする 超訳 禅問答』(三笠書房)の一部を再編集したものです。
犬には、「仏性があるのか、ないのか」
さあ、『無門関』の、まず、第一則だ!
「趙州の狗子」
犬には、仏性があるのか?
それとも、犬には、仏性がないのか?
まあ、最初から、とんでもない質問が、飛び出した。
趙州和尚、因みに僧問う、「狗子に還って仏性有りや也た無しや」。州云く「無」。
趙州和尚(778‐897/中国・唐代の禅僧)に、ある修行僧が質問をする。
これが、第一の問答だ。
あるとき、趙州和尚に、ある修行僧が質問した。
「犬には、仏性があるのでしょうか? ないのでしょうか?」
趙州和尚は、
「ない」
と、答えた――。
禅問答のやりとりは、「独参」といって、一人で老師の部屋に入って、一対一で、やりとりする。
修行の完成された老師から、一対一の親切なご指導をいただくのは、まことに、ぜいたくなことだが、「独参」は、一年か二年ほど坐禅会に参加しないとお許しがない。
先輩が、独参する礼法を教えてくださる。
「まず、老師の部屋に入る前、廊下で三拝(三回頭をぴたりと床につけ、ていねいにお辞儀をする)。部屋に入ったら、老師に向かって三拝。老師の近くで、また三拝。これを三拝九拝というのだ」
と、三拝のしかたを、きびしく教えてくださった。三拝、三拝、三拝と九拝して、老師の前に坐った。緊張して胸がドキドキしているのが、わかった。
老師のお姿は、澄みきって、まったく仏さまのように光って見えた。
「おまえさんに、禅問答を与えよう。途中でやめないで、しっかりついてこい! はじめは、無門関の第一則だ」

