30メートルの巻き紙に込めた矜持

サンフランシスコに到着し、会議の直前になって一悶着ひともんちゃく起こる。

向谷匡史『寝業師の仕事術』(清談社Publico)
向谷匡史『寝業師の仕事術』(清談社Publico)

会議での受諾演説をめぐって白洲が激怒したのだ。首席全権であった吉田茂は英語で演説を行う予定で、演説文は外務省の役人が作成し、事前にGHQに見せて了解を取りつけたものだった。GHQにおもね、美辞麗句が並んでいる。

白洲は外務省の役人を一喝した。

「講和会議というものは、戦勝国の代表と同等の資格で出席できるはず。その晴れの日の原稿を、相手方と相談した上に、相手側の言葉で書くバカがどこにいるか! 日本語に書き直せ!」

泡を食った随行員たちが手分けし、必死で和紙に毛筆で清書する。演説文をつなぎ合わせると長さ30メートル、直径10センチメートルという巨大な巻物になった。これを吉田茂は読みあげたのである。海外メディアはこれを評して、「吉田のトイレットペーパー」と揶揄し、朝日新聞のコラム「天声人語」は「不思議な巻紙の勧進帳かんじんちょう」と書いた。

敗戦国の代表が自国語で演説するのは異例の行動であったが、これによって日本が国際社会に「独立国家として復帰した」という強いメッセージを与えることになる。白洲がいなければ、講和会議は単なる“謝罪の儀式”になっていただろう。この巻紙こそ、白洲の「日本人の矜持」が込められていたのだった。

白洲が貫いた武士道

マッカーサーに対する一喝、ホイットニーへの嫌みの切り返し、そしてこの“トイレットペーパー事件”は一例にすぎないが、それぞれにおいて「理」は白洲にある。

イチャモンではない。「勝てるケンカ」と見定め、相手の意表をついて噛みつく。それは「寝業」の一法だった。

白洲は「プリンシプル(principle)」という言葉を好んで口にした。「原理、原則、根本」あるいは「主義、信条」と訳されるが、白洲自身はこう説明している。

《プリンシプルとはなんと訳したらよいか知らない。原則とでもいうのか。(中略)西洋人とつき合うには、すべての言動にプリンシプルがはっきりとしていることは絶対に必要である。日本も明治維新前までの武士階級等は、べての言動は本能的にプリンシプルによらなければならないという教育を徹底的にたたきこまれたものらしい》(白洲次郎『プリンシプルのない日本』新潮文庫)

白洲は「原則」ととらえているが、「武士」という言葉と重ね合わせて考えると、「筋を通す」という意味になるだろう。言い換えれば「理は我にあり」ということだ。

「俺たちは戦争に負けたかもしれないが、奴隷になったわけじゃない」という言葉がそれを端的に象徴している。筋を通し、筋の通らないことは相手が誰であれ一歩も退かないという処し方こそ、白洲の言う「プリンシプル」であり、西洋で言えば「騎士道」、日本で言うなら「武士道」ということになる。

【関連記事】
セブン‐イレブンの「最強ナンバー2」はなぜ社長になれなかったのか…鈴木敏文の"最後の弟子"が語った本音
中野信子「努力できるかどうかは"生まれ"でほぼ決まる」…人生の成功を左右する"遺伝"の残酷な真実
子供の命を奪った犯人とすぐに交尾する…ゴリラの母親が「死んだ子供」よりも「強いオス」を優先する残酷な理由
「こんなに衰えるとは思わなかったわ…」鉛筆を握れなくなっても創作を続ける100歳歌人の鋭すぎる名言
大地震でまず確保すべきは水でも食料でもない…被災者が「これだけは担いで逃げて」という最も重要なモノ2選