秋元康の人生設計は開成不合格で崩れた
人生観は「体験」に根ざす。
秋元康の半生をたどると、みずから「半ズボンの挫折」と呼ぶ中学受験の失敗に行きつく。秋元が思い描く人生設計は、開成中学、開成高校、東京大学と進み、大蔵省(現・財務省)に入省するというものだった。夢ではなく既定路線である。「絶対に受かる」と塾は太鼓判を押し、模試でもトップクラスの成績だった。
ところが開成中学に落ち、人生設計はスタートでつまずいた。
《すごくショックでした。世の中予定通りいかないというか、運というものがすごく大きいんだなと思いましたね》
音楽業界情報総合サイト『Musicman』のリレーインタビュー(2010年5月13日公開、第86回)に、秋元はそう答えている。
「98%の運と、1%の汗と、1%の才能」――それが秋元の人生観となる。ものごとの成否の原因が「運」にあるとする人生観は傍観者のものであり、必然的に「責任」の生じない立ち位置に身を置くことになる。
秋元は公立中学から中央大学附属高等学校に進学し、東大を目指した。人生の転機は高校2年の冬に訪れる。勉強の合間、ラジオを聴いているうちに「ラジオドラマなら自分でも書けるのではないか」――そんな気がしてニッポン放送へ原稿を書いて送ったところ、当時、制作部副部長だった亀渕昭信(のち同社社長)の目にとまり、高校生ながら放送作家の仕事をはじめることになる。
失うものがないからこそ
「思えば、道草からはじまった人生」――秋元はのちにそう語るが、秋元の処し方で注目するのは次の言葉だ。書籍『AKB48の戦略!』(田原総一朗との共著、アスコム)で、田原にこう語っている。
《僕は、スタートから高校生の放送作家だった。だから予測がはずれようが、バカな思いつきを口にして呆れられようが、失うものは1つもない。僕はどんな会議でもずっと最年少でした。おもしろい企画を出せば採用してくれるけど、何も責任はないわけです。もともと期待されていないから、昔はバットをいちばん長く持ってぶんぶん振り回し、ときどき当たった。たまにはホームランを打った》
「責任のない立場」が秋元にとっていかに居心地のいいものであったかがうかがえる言葉だ。「運」という傍観者の立ち位置から見る人生観と、「責任のない立場」という立ち位置。
これが秋元の人生を貫く「寝業」の両輪ということになる。

