客7人から社会現象を生み出す

だが「運」は秋元を追いかけてくる。ニューヨークへ移って1年が過ぎたころ、闘病していた美空ひばりが東京ドームで「不死鳥コンサート」をやるので至急帰国せよ、という連絡が日本から飛び込んでくる。

以前、レコード会社・コロムビアの人間に今後の抱負を問われ、「作詞家になったからにはやっぱり美空ひばりさんと仕事をしてみたいです」と言ったことがあったのだ。ひばりの息子が、とんねるずのファンだったのも追い風となった。

そうして書き上げたのが、ひばりの遺作となる『川の流れのように』だった。大ヒットし、秋元は作詞家として地位を不動のものにする。

「水平志向」の秋元は横へ横へとさらなる活躍の場を広げていく。それがAKB48のプロデュースだ。「会いに行けるアイドル」――秋元のコンセプトだった。

秋葉原に収容人数250名のAKB48劇場を立ち上げる。オープンは2005年12月8日。一般客はわずかに7名。ところがSNSによる口コミで3カ月後には満員になり、メンバーのオーディションに数千人の応募が殺到。

その後、乃木坂46を結成するなど、AKBグループが社会現象になっていくのは周知のとおりだ。

AKB 48劇場看板 @ ドン・キホーテ
AKB 48劇場看板 @ ドン・キホーテ(写真=street viewer/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons

あえてマネジメントはしない

アイドルグループにはそれぞれ所属するプロダクションや運営会社があり、秋元は、マネジメントはしていない総合プロデューサーとしてクリエイティブな部分を指揮し、楽曲の作詞は秋元がすべて行っている。

なぜ秋元はマネジメントをしないのか。秋元がオーナーとなって芸能プロダクションをつくり、そこにAKBグループを所属させれば大きなビジネスになるではないか。

インタビューで田原総一朗に問われた秋元は、マネージャーは彼女たちと徹底的につき合い、悩みを聞きながら一つひとつ解決していく仕事であり、自分には無理だと答える一方、秋元はメンバーに対し、親身になってこんな励ましの「洗脳的アドバイス」をしている。

《僕はメンバーに「チャンスの順番」と話すんですよ。AKBのメンバー全員にチャンスが同時に回ってくるなんてことは、ありえない。チャンスは順番に回ってくる。いま真ん中にいる子もいれば、端っこにいる子もいるけど、ベランダに置いた鉢植えのように、光の当たり方は時間や季節によって違う。順番があるんだと。

こうも言います。「止まっている時計は、日に2度正確な時刻を示す」と。でも、みんな焦るから進んだり遅れたりして、正確な時刻を一向に指さなくなる。AKBの初日のお客さんが7人でも、焦らずにじっと待ったのが正解なんだ。トンネルを途中まで掘って、やっぱりこっちじゃないかって違う所を掘れば、いつまでたっても開通しない。不器用で1日に1ミリしか前に進まなくても掘り続けるべきなんだ、と》(前出『AKB48の戦略!』)