火事がきっかけで「ゆで太郎創業者」と出会う
自分としても何かしないわけにはいかないので、ほっかほっか亭の本部に「どこか店舗を売ってくれ」と相談した。すると、店舗経営ではなく本部入りを誘われて、入社することになった。1984年のことで、FC店の指導・管理を担当するスーパーバイザーに就任する。
本部社員として活躍するなかで、その後の池田社長を決定づける人物との出会いがあった。ゆで太郎のもうひとつの系列である信越食品の創業者である水信春夫氏(故人)との出会いである。
そば店で修行した水信氏は自分の店を持つ夢があったが資金が足りず、その資金づくりのためにほっかほっか亭のFC店のオーナーをやっていた。その1店舗から火事を出してしまう。その事後処理を本部からまかされたのが、池田社長だった。
「そのときが、水信さんとは初対面でした。『一緒に大家さんに詫びに行きましょう』と言うと、水信さんは『嫌だ』と言う。仕方ないので1人で大家のところに行きました」
水信氏がオーナーの店舗は池田社長の担当エリア外だったのだが、本部の方針で池田社長が担当することになる。水信氏は本部が手を焼く存在だったらしい。その水信氏をまかされたのだから、本部も池田社長の実力を認めていたといえる。
取締役まで出世するも、方針が合わず退職
実際、ほっかほっか亭本部で池田社長は頭角を現していく。1992年には取締役営業本部長に就任、開発本部長などを歴任していくことになる。
ところが2003年、池田社長はほっかほっか亭を去る。その理由を訊ねると、ちょっと渋い表情で次のように語った。
「本部の方針に逆らってばかりいたからね。『辞めてくれオーラ』を本部内からは出されていました。だから、辞めました」
そうして、池田社長はほっかほっか亭を去る決意を固めたのだ。そして次に何をやるか考えているときに浮かんだのが、信越食品の水信氏だった。
「そのころ水信さんは、立ち食いそばのゆで太郎を始めていました。私も何回も食べていておいしかったので、このゆで太郎をフランチャイズ化して店舗数を増やしていきたいと考えたのです」
