厳しく指摘してくれる師匠が必要だった

やはり、三成には「そんなひとりよがりの態度では、墓穴ぼけつを掘るぞ。いまのうちに、改めよ」と厳しく指摘してくれる師匠が必要でした。

可能な人物としては秀吉の弟・秀長が挙げられますが、彼は豊臣政権が日本を統一した(北海道と沖縄を除く)翌年に、52歳で病没してしまいました。

日本史上最大の合戦の帰趨きすうは、三成の気くばりの欠如によって決まった、といえなくもありません。

【関連記事】
石田三成と戦っていないのに関ヶ原合戦後に大出世…徳川家康が厚い信頼を置いた「戦国最大の悪人」
仕事のデキない人ほどこの髪形をしている…相手から全く信頼されない「ビジネスで一発アウト」ヘアスタイル3選
「秀吉と一緒になるのがイヤ」ではない…お市の方が柴田勝家との自害を選んだ"現代人には理解できない"理由
NHK大河ではとても放送できない…宣教師に「獣より劣ったもの」と書かれた豊臣秀吉のおぞましき性欲
大地震でまず確保すべきは水でも食料でもない…被災者が「これだけは担いで逃げて」という最も重要なモノ2選【2025年7月BEST】