なぜ石田三成は関ヶ原の戦いで敗北したのか。歴史家・作家の加来耕三さんは「三成は、自分とは異なる考え方をする人が、この世の中にいることが理解できなかった。最大の敗因は、師匠である秀吉から、人間関係において最も重要なキーワードを学ばなかったことにある」という――。
※本稿は、加来耕三『歴史の一流は「師匠」から何を学んだのか』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。
優秀な石田三成が最後に負けた理由
ここでは、師匠を持ちながら成功できなかった例として、石田三成を取り上げることにします。三成は、豊臣秀吉に「自分と能力が変わらないのは三成だ」と評されるほど、その才能を認められ、若くして引き上げられた人物でした。
それほど優秀な三成が、なぜ最後の最後、関ヶ原の戦いで、徳川家康に完敗してしまったのでしょうか。
その最大の敗因は、三成が師匠である秀吉から、最も重要な「人間関係の心得」というキーワードを学ばなかったことにありそうです。
三成は自負心が強く、ひとりよがりと受け取られる性格を、省みることをしませんでした。自分が正しいと信じることは疑わず、正義を掲げれば誰もが無条件でついて来ると考えていました。
しかし世の中は、正義の心だけで人は動くわけではなく、人の心には私利私欲もあれば打算、感情もあります。
三成には他人の心の機微を知る努力が、著しく足りず、相手の感情に寄り添った物言いをする配慮に、終生、欠けていました。せっかく“人たらし”とまでいわれた秀吉を「師匠」に持ちながら、その極意を継承していなかったのは残念でなりません。
師匠の秀吉は、一介の足軽から苦労して成り上がった人物であり――それ以前の10代では3年間、戦国の世を放浪した体験も持っていました。世の中で他人に嫌われることや嫉妬されることの怖さを、秀吉は“世間知”(世渡りに必要な知恵)として熟知していたのです。

