歴史に名を残すほどの実力があっても、人に教えることに不向きな人物は誰か。歴史家・作家の加来耕三さんは「豊臣秀吉は、信長の様子を見て反面教師とし、成長した。同じように師匠には決して向かないが大きな功績を上げた高僧、剣豪がいる」という――。

※本稿は、加来耕三『歴史の一流は「師匠」から何を学んだのか』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。

本能寺焼討之図(楊斎延一画)
本能寺焼討之図(楊斎延一画)(写真=ブレイズマン/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

わかりやすく説明する空海とは正反対

師に向いていない人物とは、簡潔にいえば、師に向いている人の要素を持たない人、あるいは真逆の特徴を持っている人が該当します。

わかりやすく説明してくれる師として空海がいますが、対照的な存在として天台宗の開祖である最澄が挙げられるかもしれません。

真言宗の空海と好敵手ライバル関係にあった最澄は、空海と同じ遣唐使船で唐に渡りましたが、二人の階級は雲泥――空海が一留学生であるのに比べ、最澄は現代でいえば文部科学省の政務次官に相当する選良エリートでした。

なにしろ最澄は、ときの桓武かんむ天皇の信頼も厚く、望まれて唐へ渡った立場にあったのです。しかし、結果として庶民に受け入れられ、広くその教えが伝えられたのは、空海でした。

最澄はエリートであるがゆえに、国家のために――との思いが強く、庶民のために伝えるという意識が薄く、そのため相手の程度に合わせた会話をすることができませんでした。

最澄は自分が学んできたことをひたすら説くだけであり、相手の考えや発言が自分と合わなければ、即座に「それは違う」と否定してしまいます。

すでに存在していた南都仏教に対しても、真正面から論戦を挑み、屈服させていきました。その一方で、自らがわからないところ、とくに密教の奥儀については、しばしば空海を頼っています。

そのため、最初は最澄に学んでいた高弟も、いつしか空海の許へ入門していきました。