幕末に低い身分から立身出世した人物は何をしていたか。歴史家・作家の加来耕三さんは「師を崇拝しすぎることなく、適度な距離を保ちながら、自身の目的のために教えを乞うことで、最下層の身分から国政のトップに立った人物がいる」という――。

※本稿は、加来耕三『歴史の一流は「師匠」から何を学んだのか』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。

左端は長州藩の伊藤博文、右端は薩摩藩の大久保利通
左端は長州藩の伊藤博文、右端は薩摩藩の大久保利通(写真=Phoenix New Media/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

客観的な味方で軽やかに師と付き合う

勝海舟とほぼ同時代を生きた長州藩の伊藤博文もまた、「なんとか世に出たい」、「出世したい」と日々考えていました。

伊藤は足軽以下という貧しく低い身分でしたが、そこから這い上がるためには良師について学び、この力を借りて行動し、ついには日本の初代内閣総理大臣にまで上り詰めることに成功しました。

明治期に誕生した7人の首相のうち、4回を伊藤がつとめたという事実からも、その立身出世ぶりは明らかでしょう。

伊藤の師との付き合い方には、師への客観的な見方、軽やかさがありました。伊藤は師を崇拝しすぎることはなく、適度な距離を保ちながら、自身の目的のために教えを乞うのだ、という姿勢を常に明らかにしていました。

そのため師の言葉を絶対視せず、冷静に批判する目を養い、少し変わったか? 違うな、と判断すれば、師匠と別れることで新たな師を求めました。

伊藤は18歳のときに、松下村塾に入り、最初の師である吉田松陰と出会います。

人の長所を引き出す教育を行っていた松陰は、伊藤に対して「君には周旋家しゅうせんか(人と人との間を取り持ち、仲介する役割)の才がある」と教えました。この言葉によって伊藤は、自身の目指すべき像を少しだけ、明確にすることができたようです。