最下層の身分から国政のトップに

その後、大久保が暗殺されたあと、伊藤が大久保の内務卿ないむきょうのイスに座ります。内閣総理大臣が生まれる前の、実質的な日本のトップの地位でした。

伊藤がそこまで上り詰められたのは、そのときどきの師匠に盲従せず、常に学ぶ目的を明確にしつつ、師を客観的に見ていたからでした。

伊藤が師匠を立てる一方で、自らの色も保ち続けていたことがわかる挿話があります。信長に学びつつ、どこかで反面教師の目をもっていた秀吉にも通じるところ、といえるかもしれません。

ドイツのビスマルクを師と仰いだ大久保利通にあやかり、伊藤も師としたビスマルクを真似、口髭やフロックコートの着こなし、葉巻の吸い方、歩き方などを同様に模倣しました。

しかし、内務卿ないむきょうとなった伊藤は、大久保とはまるで違う人格を人々に表します。

大久保がトップだった頃の内務省は、省内が緊張で張り詰め、静まり返った中で聞こえるのは大久保の靴音だけ、とまでいわれていました。

加来耕三『歴史の一流は「師匠」から何を学んだのか』(クロスメディア・パブリッシング)
加来耕三『歴史の一流は「師匠」から何を学んだのか』(クロスメディア・パブリッシング)

ところが、伊藤がトップになると、雰囲気はガラリと変わります。

久しぶりに内務省を訪れた人は、ガヤガヤと落ち着きのない職員の姿を見て驚いています。しかも内務卿の執務室では、伊藤が前日に飲み明かした芸者の話をしていた、というのです。

大久保のような威厳を示せない伊藤は、むしろ友好的フレンドリーな人柄を演出しようと心がけたようです。

伊藤は生涯を通して、出世という目的のために師匠を選び、多くのことを学びつづけました。最下層の身分から国政のトップに立った伊藤は、何人もの師匠からの学びを活かし、のちの日清戦争・日露戦争でも、なんとか存在感を発揮することに成功しました。

【関連記事】
石田三成と戦っていないのに関ヶ原合戦後に大出世…徳川家康が厚い信頼を置いた「戦国最大の悪人」
仕事のデキない人ほどこの髪形をしている…相手から全く信頼されない「ビジネスで一発アウト」ヘアスタイル3選
私には明瞭にモノを言うが、他人には曖昧な言葉を使う…昭和天皇が「総理大臣にしてはならぬ」と語った政治家
サルでもハゲネズミでもない…外見にコンプレックスを抱える秀吉が信長に付けられた「もう一つの呼び名」
謝罪も、論破もいらない…金銭を要求してくるカスハラ客を一発で黙らせる"ひらがな二文字の切り返し"