中国外交部長(外相) 王 毅(おう・き)
1953年、北京生まれ。北京第二外語学院で日本語を学び、82年中国外交部入部。89年から94年まで駐日大使館勤務。2001年史上最年少で外交部副部長に抜擢。本年より現職。
素晴らしい日本語使いであり、知日派で知られる。だが親日派と期待するのは早い。
5月、李克強首相が訪問先のドイツ・ポツダムで「日本は、盗み取った島々を返還せよ」と演説したことに反駁する菅義偉官房長官に対し、「日本はもう1度『ポツダム宣言』と『カイロ宣言』をまじめに勉強しなおすべきだ」と語気強く中国メディアに語った。
文化大革命で黒竜江省に下放され、24歳で北京第二外語学院日本語学科に入学。年齢のハンディを取り戻すため、同級生の誰よりも早起きし勉強する努力家だった。同級生の人物評は「常に落ち着き、慎重で、周囲全体を見る」。相当な文章家で、当時の総書記・胡耀邦の初訪日スピーチ原稿を入省2年目で起草、2カ所修正されただけで使われた逸話は有名だ。1980~90年代の日中蜜月時代に出世街道を駆け上がるも慢心せず、江沢民政権の対米重視外交のきざしをみるやアジア局長の身分で米国に留学、常に先を読んできた。
だが日中関係が冷え込み、6カ国会議の議長を任されるも成果を出せずにいたときは、「知日派は先が見えている」と焦燥を隠せなかったという。ライバル楊潔氏との外相ポスト争いに敗れ、台湾事務弁公室主任となったのは一種の挫折といえよう。
もっともその5年間に中台を大きく接近させた手腕が、台湾重視の習近平国家主席に見込まれ外相に抜擢された。駐日本大使時代には、タカ派と言われた第1次安倍晋三内閣の軸足を大きく中国に引き寄せた実績も評価された。京劇役者のような美丈夫で、洗練された物腰に好感を持つ日本要人は多い。だが省内随一と言われる頭脳も努力も中国の外交官として発揮される。日中の利害が対立したとき、これほど手ごわい交渉相手もいないのである。