中国の全国人民代表大会(全人代)が、北京市内で予定の1カ月遅れでスタート。実質的に国を動かす“チャイナ・ナイン(中央政治局常務委員会)”9人中、幾人かが交代。胡錦濤国家主席が10年2期務めたその座を習近平国家副主席に譲る。米大統領選と並ぶ世界の関心事だ。
国家主席就任が決定的な習氏だが、9月上旬に2週間も所在不明となったのは記憶に新しい。クリントン米国務長官、トーニング・シュミットデンマーク首相、李顕龍シンガポール首相、ロシア代表団らとの面会がすべてキャンセルされ、重病説・暗殺説まで流れた。
このとき、習氏は北京・中南海の病院に軟禁され、党幹部からその統率力にNOを突きつけられたとされる。
その理由の1つが、元重慶市トップの薄煕来氏が絡む英国人ビジネスマン殺人事件。8月に薄氏の妻、谷開来被告に執行猶予2年付きという不可思議な死刑判決が下され、薄氏本人も10月末に不逮捕特権を剥奪され、刑事捜査も始まった。
「自身の1、2を争う右腕であり、チャイナ・ナイン入りとまで言われていた薄氏を守れなかった習氏の指導力が、党内で疑問視された」(前出の共産党幹部)
そこに追い打ちをかけたのが、習氏の妻、彭麗媛(49歳)。人民解放軍の少将であり、軍の歌舞伎団を束ねる中国トップクラスの人気歌手でもある。
中国ではビジネスパートナーを夫婦揃って自宅に招き、妻の手料理でもてなす。習夫妻もチャイナ・ナインの面々や解放軍の将軍たちを自宅に招待していた。
「その出席者どうしの間で起こった不適切な出来事が将軍たちの妻全員の知るところとなり、習夫妻は彼女たちから総スカンを食った」(同)。習氏は一時、失脚寸前だったというから穏やかではない。
軟禁中、習本人はしきりに、「私は政治家を引退して大学に勤めます。学者になります」と反省の弁を述べたという。中国では古来、学者と僧侶は何があっても処分を受けない風習がある。習氏が9月15日に再び姿を現した場所は、自身が校長を務める中国農業大学だった。
「胡錦濤と習近平の力の棲み分けは年明けにほぼ確定するが、習が胡錦濤の傀儡政権という性格づけは不変」(同)。
国家主席就任後も目が離せない。