戦国武将には男色が多かったのは本当か。歴史作家の河合敦さんは「日本では古代から男性同士の恋愛は珍しくなかった。とくに戦国時代は男性と恋愛をする武将がおり、歴史資料として恋文が残っている」という――。

※本稿は、河合敦『戦国武将は戦がないとき、何をしていたのか』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。

織田信長と森蘭丸の恋愛関係はデマ

現在、性の多様性が盛んに言われるようになっているが、日本では古代から同性間(主に男性間)での恋愛は珍しいものではなかった。とくに戦国時代は、武将と年下の者との恋愛関係は“一般的”だといえた。

そう聞いて、一番に思い浮かぶのは、織田信長と小姓の森蘭丸の関係だろう。だが、意外にも二人が性愛関係にあったというのは、一次史料(当時の手紙や日記、公文書など)では一切確認できないのだ。

織田信長の恋人とされた森蘭丸
織田信長の恋人とされた森蘭丸[写真=落合芳幾作/東京都立図書館/PD-Art (PD-Japan)/Wikimedia Commons

それどころか、比較的信憑性の高い二次史料(後世の編纂物)である太田牛一の『信長公記』にも記されていない。つまり、デマなのだ。

上杉謙信が同性愛者である根拠

生涯独身を通した上杉謙信は、本当は女性だったとか、同性愛者であったとかいわれる。さすがに女性というのは無理があるが、同性愛者の根拠とされるのは、関白の近衛前久が知人の僧侶に宛てた手紙だ。

そこには、謙信が上洛したとき、「彼が華奢な若衆をたくさん集めて夜更けまで大酒を飲んで楽しんでおり、たびたび夜を明かすこともあった。謙信は大の若衆好きだという」と記されているからだ。若衆とは、男色の相手役となる少年のこと。

ただ、歴史学者の山田邦明氏は、この説を明確に否定している。手紙の文中で若衆を集めて「夜通し酒を飲んだのは義輝と前嗣で、景虎の動きをこの書状から直接うかがうことはできない」(『人物叢書 新装版 上杉謙信』吉川弘文館)というのだ。