「尾張の整備」と「美濃攻略」まで15年
大河ドラマ「豊臣兄弟!」は、信長の美濃攻略に突入。
まさに出世の好機到来と励む小一郎(仲野太賀)と藤吉郎(池松壮亮)兄弟の姿が描かれていくことになる。でも、この美濃攻略も信長(小栗旬)からみればまったく別物。拡大のためには、必ず通らなければならない道だとわかっていたのだから。
御前大試合、藤吉郎のセコンドを務めたのは策士 小一郎
— 大河ドラマ「豊臣兄弟!」2026年1月4日放送開始 (@nhk_toyotomi) February 2, 2026
第5回 配信https://t.co/pEqrWBWSWN#仲野太賀 #池松壮亮#豊臣兄弟 #大河ドラマ pic.twitter.com/tIsDgt3ir0
この美濃攻略、実に長い時間がかかっている。
桶狭間の戦いは1560(永禄3)年。その後、斎藤龍興を敗走させて美濃を平定したのは1567(永禄10)年と、実に7年もかけた事業になっている。信長が家督を継承したのは1552(天文21)年頃、本能寺の変で死去するのが1582(天正10)年である。つまり、信長の経営者としてのキャリアは約30年間だ。この数字を並べてみると、驚くべき事実が浮かび上がる。
桶狭間(1560年)から美濃平定(1567年、34歳)まで:7年
つまり、地元市場である尾張を整備するのに8年、それからようやく隣県に進出してシェアを獲得するまで7年。合計15年である。全キャリア30年のうち、15年。ちょうど半分だ。「天下人」のキャリアの半分は地方企業の社長だった。
まるで「織田グループの下請け子会社の社長」
これは、一般的な織田信長のイメージとはかけ離れている。多くの人が抱く信長像は「桶狭間で今川義元を討ち、一躍天下人への階段を駆け上がった英雄」だろう。
しかし、数字が示す現実は違う。桶狭間の戦いで今川義元を討った後も、信長はさらに7年間、隣の県すら平定できずにいたのだ。
27歳で「買収にやってきた大手企業の社長を見事に撃退した」地方中小企業の社長が、34歳になってようやく隣県に進出できた……これが実態である。
別の記事でも書いたが、信長は織田家の中では分家の分家だ。尾張国は上四郡と下四郡に分かれており、信長の織田弾正忠家は下四郡を支配する織田大和守家の家臣にすぎなかった。つまり、信長は「織田グループの下請け子会社の社長」だったのだ。
(参考記事:秀吉・秀長を家来にするしかなかった…織田信長を「冷酷な戦国武将」に変えた“織田VS.織田”の抗争の中身)
信長は1555(弘治元)年に主家である織田大和守家の当主・信友を滅ぼし、さらに1559(永禄2)年には岩倉城を拠点に上四郡を支配する織田伊勢守家の当主・信賢を降伏させ、ようやく尾張全体を統一した。
尾張統一、美濃平定と書けば聞こえはいいが、実態はかなり怪しい。特に問題だったのが、犬山城を押さえる織田信清である。

