出産で変化した「宿命的に孤独」の意識
NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」も残すところあとわずか。6日放送の110回では、ついにトキ(髙石あかり)とヘブン(トミー・バストウ)の間に待望の第1子が誕生した。ここに来て展開の速さに、ちょっと驚くのだが残り話数を考えると仕方がない。
ともあれ、この出産、八雲にとっては一大事であった。
だって、八雲はそもそも両親が揃って家族仲良くという家庭を知らない。僅かに記憶に残る母との生活も父は不在であった。そう、八雲にとって家族は憧れるだけのものであり、同時に自分の人生には縁のない唾棄すべきものだった。
(参考:だからセツとの距離が一気に縮まった…「ばけばけ」では描かれない、小泉八雲が重ねた「生き別れた母」の面影)
とにかく自分は作家であり、宿命的に孤独なのだと思い込んで生きていたのだ。
こういうタイプの男性は例外なく、妊娠から出産までの間に意識が180度転換する。おおむね妊娠から出産の間は迷いの時間である。ずっと「子供なんて……」「俺には、父親になる能力など無い」「これで筆が鈍ったらどうしよう」などなど。ところが、いざ子供が生まれたら、迷いは吹き飛びデレデレになってしまうのだ。
八雲「御体の祈りを捧げました」
問題は、その転換点である。
八雲が転換したのは、トキの出産の直前だ。
以前の記事でも記したが、八雲は親友のエルウッド・ヘンドリックに息子の誕生を知らせる手紙を興奮気味に書いている。
(参考:松江に住み続ければよかったのに…「熊本は退屈すぎる」と嘆いた小泉八雲がそれでも離れられなかった理由)
この新しい経験で「出産」と云う事は、神聖な物又恐ろしい物で、宗教の力を借りて保護してもまだ十分と云へない事を非常に深くさとりました。
それから自分の子供を生んでくれる女を虐待する男も世の中にはあると思い出したら、天地もしばらく暗くなるような気が致しました。それから私はこんな幸福を授けてくれた「不可思議の力」に対して恭しく感謝した事を白状します。それから御体の祈りを捧げました。そうするのが愚かな事だとは思いませんでした。
過去、寄宿学校で押しつけられた経験からカトリックを嫌っていた八雲が、御体の祈り=「アニマ・クリスティ(キリストの魂)」の祈祷文を必死に唱えている。
わかるだろうか。もはや、八雲も「宿命的な孤独」を自分のアイデンティティーとして守り続ける必要がなくなったのだ。

