八雲に訪れた「ひざまずくしかない瞬間」
子供の誕生という「不可思議の力」の前では、どんな思想も、どんな信念も、ひとまず脇に置かざるを得ない。嫌っていたはずのカトリックの祈祷文を口ずさむ自分を、八雲は「愚かな事だとは思いませんでした」と書いている。
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— 朝ドラ「ばけばけ」公式 放送中 (@asadora_bk_nhk) March 6, 2026
お百度参り中のヘブンさん。
祈りが届いて、健康で元気な男の子が生まれました!#トミー・バストウ#ばけばけ pic.twitter.com/hN1cIH55Ba
この一文の重さを、もう少し噛みしめたい。
八雲は、子供の頃から寄宿学校でカトリックを叩き込まれ、その窮屈さと偽善に反発し続けてきた男だ。仏教や神道、日本の民間信仰に惹かれたのも、西洋キリスト教への根深い嫌悪と表裏一体だった。その八雲が、理屈も体裁も関係なく、体の奥から祈祷文を絞り出している。すがるしかなかったのだ。
愛する人が命がけで苦しんでいる。その前に人間は無力であり、思想など何の役にも立たない。「不可思議の力」という言葉を八雲はあえて曖昧に書いているが、その正体は問題ではない。制御できない何かに対して、ひざまずくしかない瞬間が八雲に訪れた。
そしてここに、八雲が人間として一段成長した姿を見ることができる。
それまでの八雲にとって「信じること」は、常に知的な選択だった。仏教を選び、神道を選び、民間信仰を選ぶ。その選択には、常に観察者としての自分が存在していた。だが出産という極限の場面で、八雲は初めて「選ばずに」すがった。知性ではなく、恐怖と愛から。
熊本の悪口“だけ”ではなくなった
思想より先に、体が動いた。それが父親になる瞬間というものだろう。だがそれ以上に、これは八雲が「完全な観察者」から「当事者」へと転じた瞬間でもあった。
母・ローザの故郷であるレフカダ島の信仰ならば、神は頭で選ぶものではなく、存在ごとすがるもの。八雲の祈りは母への祈りでもあったのだ。
実際、いよいよ出産が迫ってくると八雲の心情は著しく変化している。1893年7月、熊本での職を紹介してくれた東京帝国大学のチェンバレンへの手紙では、熊本には寺も美術も礼儀もない。それでも、暇と休息が得られると書いている。悪口の後に「それでも」が続くようになった。これは大きな変化だ。
丸山学『小泉八雲新考』(北星堂書店、1936年)は「ヘルンの熊本に対する愛着も主としてこの子供の出生によって芽生えたと見ることができる」と記している。
つまりは、おそらくこういうことだろう。子供が生まれて育つ土地なのに、いつまでも「寺がない」「礼儀がなっていない」と悪口を並べ立てていたら教育によくない……八雲はそう思い始めたのではないか。
こうして産まれた長男・一雄は自身の著書でこう書いている。
明治26年11月の私の誕生こそは父の運命を決するものであった。
(小泉一雄『父小泉八雲』小山書店、1950年)
