横浜土産の定番として知られる菓子「ハーバー」。いまでは神奈川ナンバーワン土産とも言われ、年間2200万個以上を売り上げる人気商品だ。しかし25年前、製造元の倒産で姿を消し、「縁起が悪い」と取引先に取り扱いを断られた過去がある。そんな菓子が、なぜ復活し再び愛される存在になったのか。ライターの弓橋紗耶さんが取材した――。

歓迎されなかった25年前の横浜銘菓

「御社は一度倒産されてますよね?」
「もう、ちゃんと取引できる状態になったんですか?」

今から25年前の2001年。当時、営業担当だった現社長の藤木隆宏さんは、提案先の取引先でじっとこの言葉を受け止めていた。相手の顔には不安げな表情が浮かび、歓迎ムードではないことがわかる。「倒産で姿を消した商品を取り扱うのは、縁起が悪い」――小売店の間で、そうしたムードが漂っていたのは小耳に挟んでいた。横浜銘菓「横濱ハーバー」の復活販売は、前途多難な幕開けを迎えていた。

旧ありあけ本社1階の「レ・ザンジュ・ベイ・ヨコハマ 山下本店」には、さまざまな種類のハーバーが揃っている
筆者撮影
旧ありあけ本社1階の「レ・ザンジュ・ベイ・ヨコハマ 山下本店」には、さまざまな種類のハーバーが揃っている。(ありあけ本社は2026年3月1日より新本社へ移転)

「横濱ハーバー」(旧「ありあけハーバー」)は、1954年に旧有明製菓株式会社が発売した商品だ。しかし、1999年に不動産投資などの失敗により倒産。工場および本社・直営店など70店舗が閉鎖され、突如販売中止に追い込まれた。当時は170人の従業員ですら、当日に倒産を知った有り様だったと言う。地元民からは、「ハーバーをもう一度食べたい」という声が、徐々に上がるようになっていった。

マイナスイメージからスタート

すると、洋菓子の製造・卸売を行うプレシア創業者の藤木久三氏(現・ありあけ会長)が、翌2000年に商標権を買い取ることに。自身が商品のファンだったことから、元有明製菓の従業員や地元の有志らを集めて、ハーバー復活実行委員会を組織した。そこで営業を任されたのが、会長の娘の婚約者だった藤木さんだ。

「元々は雑貨関係の商売を父と準備していたんですが、『ゆくゆく娘と結婚するなら、ハーバーを復活させるプロジェクトを手伝ってくれ』と会長に言われて、プレシアに入ったんです。

菓子屋に入る以上はお菓子を作れないとダメだろうと、最初は工場で製造を担当しました。何もわからないまま制服だけ渡されて、パートさんと一緒に箱詰めしたり、仕込みをしたり。でも、最終的にはシュークリームとか焼き菓子とか、自分で作れるようになりましたね」

その後、営業を任されたわけだが、「製造元の倒産」というマイナスイメージからスタートする商談は、なかなか思うようには進まなかった。