ANAホールディングス社長 伊東信一郎(いとう・しんいちろう)
1950年、宮崎県生まれ。74年九州大学経済学部卒業後、ANA入社。社長室事業計画部長、人事部長などを経て、2003年取締役。07年代表取締役副社長を経て、09年代表取締役社長に就任。13年4月より現職。
ANA(全日空)とマレーシアのLCC(格安航空会社)大手のエアアジアがタッグを組んで、真っ赤なボディに白字の鮮やかな機体が、成田空港から飛び立ったのは1年前の8月。「(運賃は)従来の半分から3分の1、新たな旅の楽しさ・スタイルを創出していきたい」と、ANA(持ち株会社移行前)の伊東信一郎社長は、LCCビジネス拡大に期待を抱いていた。だが、わずか1年足らずでエアアジアとの合弁事業を断念。共同出資のエアアジア・ジャパンを完全子会社化した。“成田離婚”ならぬ異例のスピードで提携解消に至ったのは、“性格の不一致”から。伊東社長自身も「マレーシアのビジネスモデルのままでは、日本の市場では厳しいと判断した」と指摘する。コスト削減を徹底追求するエアアジアと、“おもてなし”を優先するメガキャリアのANAとの対立の溝は埋めようがなかった。
加えて、成田空港を拠点に選んだことも大いなる誤算。深夜便の離着陸に門限があるため、天候不良などで深夜にずれ込むと欠航が避けられない。利便性の悪さから搭乗率が採算ラインの7割を大きく下回った。同じANA傘下のLCCでも、24時間営業の関西空港を拠点とするピーチ・アビエーションが8割以上に達するのとは対照的だ。
6月末の株主総会で伊東社長は「LCC事業は成長戦略の柱であることに変わりない」と強調したが、視界不良の中、方向転換は容易でない。手厚い公的支援で再生したライバルのJAL(日本航空)とは利益で大きく水をあけられ、「競争が平等ではない」と不満顔だが、収益改善にはエアアジア・ジャパンの立て直しが必須。座右の銘は「得意淡然、失意泰然」でも、アジア勢の参入が相次ぐ中、じっと我慢してばかりでは再出発が難しい。