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中国国家主席夫人 彭麗媛(ほう・れいえん)
1962年、中国山東省生まれ。父が県文化会館館長、母が劇団員という芸術一家で育ち、14歳で山東芸術学校に入学。18歳で軍に入隊し、人民解放軍専属歌手として活躍する。82年、「中国の紅白歌合戦」と言われる「春節聯歓晩会」に出演。86年、離婚歴のある習氏と知り合い、翌年結婚。1女の母。中国人民解放軍少将。


 

彭麗媛夫人は習近平国家主席にとって「あげまん」ではないか。印象深いのは、政権交代後の初外遊だ。モスクワ空港に降り立った彭夫人は黒のトレンチ風コートに水色の水玉スカーフを少し襟元にのぞかせる優雅なファッション。国内外メディアは、ようやく国際社会に通用する中国のファーストレディ登場と、その魅力をこぞって報じた。衣装がすべて国産品であることが明らかになると、中国アパレル業界の株が跳ね上がった。習氏のロシア外交は屈辱的なまでに成果がなかったが、ファーストレディ報道の煙幕でうまく救われた。

そもそも、さして政治実績がない習氏が総書記の座につけたのも、解放軍総政治部歌舞団の歌姫が持つ国民的人気と軍部の圧倒的支持があったからこそ、といっても過言ではない。政治に興味のない一般庶民からすれば今も習氏が彭麗媛夫君だ。

文革の迫害に苦しむ少女時代を乗り越え、天性の喉と野心と努力でスターダムにのし上がった。中越戦争の最前線に志願して慰問に赴く勇気。家庭内離婚がささやかれても、メディアの前ではあくまで「幸せな夫婦」を演じきる忍耐。幾度もの海外公演で身につけた国際センス、自身のイメージづくりのうまさ。いずれも夫より一枚上だ。

1984年に日中青年交流に参加、芹洋子と「四季の歌」を歌って以来、かなりの日本びいき。共産主義青年団(共青団)出身だから当然、共青団派閥の政治家や官僚とも人脈がある。

習政権樹立後、共青団派との権力闘争は激化、日中関係も尖鋭化、それが中国経済と社会治安の悪化に反映している。隣国の民としては、「あげまん」妻が共青団人脈と日本人脈を駆使して、習政権の運気を好転させてくれることを期待するのだが。

(PANA=写真)
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