スピードガンでハートを撃ち抜かれた
安定の道を蹴り、ようやく憧れの世界へと足を踏み入れることができた。今年1月からヤクルト球団の編成部スカウト育成グループでアマチュアスカウトに就任した平岡佑梧さんは、スピードガンなどの商売道具が入ったリュックサックを背に、担当の中国・四国地方を隅々まで駆け回っている。高校やアマチュア球団の指導者との人間関係をしっかりと構築するために、まずは挨拶回りに追われる毎日だ。
「仕事内容は、中国地方、四国地方のアマチュア選手、独立リーグ選手のスカウティング全般です。いい選手がいたらヤクルトに話を上げて、ゼネラルマネジャーや編成部長、スカウト部長ら上司に見てもらい、編成部全体でドラフトの指名選手を決めていくことが、大まかな仕事内容になります」
プロのスカウトになりたいと思った瞬間を今でも鮮明に覚えている。香川大4年春のリーグ戦。ドラフト候補として登板している時のことだ。ある球団のスカウトからスピードガンを向けられ、ハートを撃ち抜かれた。
「バックネットが低い球場で、スピードガンをパッと向けられるのがはっきりと見えたんです。その瞬間に人生が変わったなと感じました。僕の人生の軸に『本気の人の人生の架け橋になりたい』というのがずっとあったので、『スカウトってピッタリ過ぎじゃない?』ってマウンド上で思っちゃいました(笑)」
柔道の阿部詩選手と引き分ける実力者
兵庫県淡路市出身。小学生までは柔道少年だった。県大会で3位になった実績もあり、後に東京五輪金メダリストとなる阿部詩選手と試合をして引き分けたこともある。
「引き分けだったので、自分が負けた感じはありましたが、やっぱり当時から強いなと思っていました」
中学でも柔道を続けるつもりだったが、恩師が異動になったことで「もういいか」と競技から離れ、野球部に入部。柔道で培った体幹の強さとバランス感覚は投球時に生き、中2の冬から投手に専念すると、3年時にはエースを務めた。
「自分の住んでいた淡路地区はサンテレビが映り、小さい頃から阪神戦をよく見ていたので、野球のルール的なことは大丈夫でした。球速も最初から100キロぐらい出ていて、中3で124キロを投げていました」
高校は「淡路島から甲子園に出たかった」と地元の津名高に進学。難関の理系大学や文系の国公立大学を目指す総合学科コースに在籍しながら、文武両道の学校生活を送った。投手としても順調に成長し、3年時には最速143キロをマーク。複数の関西私大から誘いを受けた。同じサイド気味の変則右腕で、高校OBの村西良太投手(オリックス)が指標となり、プロ入りを意識し始めたのもこの頃だ。