野村不動産会長の父への「対抗心」
侍ジャパン社会人日本代表で4番を経験した男は今、野球とは違うフィールドで輝きを放っている。沓掛祥和さんは、トヨタ自動車(愛知県豊田市)を退社後、独立リーグの球団経営などに携わり、2024年5月、29歳で「マウイ」を創業。学習塾「みやうち塾」の経営に参画しながら、パートナー企業の営業や採用の支援などを行っている。
「学習塾は神奈川県の横浜市と川崎市に15店舗あり、2025年は10店舗をプラスして25店舗になる予定です。2030年までには200店舗作って、地域密着でシェアを獲りにいくという目標を立てています」
沓掛さんは横浜市出身。幼稚園時代は福井県にいたが、小1で帰浜し、青春時代のほとんどを横浜の地で過ごした。父の英二さんは、野村不動産ホールディングス会長を務めるほどのエリート。沓掛さんが30歳を前に事業を興したのは、父に対する「対抗心もあった」という。
「親父からは『金融にいけ』と言われていましたが、僕は結局事業会社を立ち上げました。レールの上には乗りたくなくて、何か反抗しちゃうんですよね。親父に教わったことは、『結局は人』だということ。それを守って、人への義理だけはしっかりしようと思いました」
中学卒業後は髪を「真っ赤」に
野球と勉強。文武両道で進路を切り開き、多くの人脈を作ってきた。6歳上の兄と、3歳上の姉が野球をやっていたこともあり、自身も気づけばボールとバットを握りしめていた。4歳から野球を始めると、中学では硬式の「横浜東金沢リトルシニア」で全国優勝を経験。そして2010年4月、慶應義塾高の門をくぐった。
「兄も姉も、大学の附属校でどちらも大学受験をしていないんです。僕も附属校がいいなと思っていて、シニアの中では勉強はできたほうなので、頭もよくて野球も強いところに行きたくて慶應を受験しました」
慶應では自由な校風の中で伸び伸びと個性を育んでいった。中学卒業後に髪の毛を赤に染色。高校の入学式前に黒色に染め直したが、太陽光に反射して赤色があらわとなり、先生や先輩たちに露見してしまった。
「エンジョイ・ベースボール」の旗の下、長髪をなびかせる野球部の中で丸刈りからのスタートとなったが、「奔放だった自分でも慶應の野球部は受け入れてくれました。素晴らしいというか、懐が深いですよね」と懐かしげに振り返る。