トヨタ時代の苦難があったからこそ今がある
独立リーグの経営の厳しさを知り、1年足らずで香川から神奈川へと戻った。2024年に「マウイ」を創業し、軸となる事業を探していた矢先、大学野球部の同期で、「みやうち塾」の塾長を務める池畠悠さんと再会。学校の授業を先取りで進め、原理から理解させ、圧倒的な演習量で定着していく指導方針などに共感を受けた。
「塾の授業や仕組みを見て、面白いなと思いました。池畠は勉強を教えることができる。じゃあ俺は店舗を増やすための営業をするわ、となったので、合弁会社(2つ以上の企業が共通の利益のための事業遂行を目的として設立し、共同で経営される会社)を作って一緒にやっています」
「マウイ」の1期目の売り上げは、合弁会社と合わせて1億円に達する見込み。死まで覚悟した野球エリートは、父譲りの商才や、多くの人脈に支えられ、経営者として本格的なスタートを切った。
「トヨタの時に本当に飛び降りるぐらいまで追い詰められることはもうないかなという感じです。あれを経験すれば、別に怖いものはありません。これまで辞めた会社とも仲良くやっています。応援してくれなかったら、自分がそれまでの人間じゃないですか」
大企業の看板を外し、「沓掛祥和」の名で勝負する長い旅路は、まだ始まったばかり。その試みを応援してくれる人たちのためにも、走り続ける。