社会から「甘えるなよ」と言われてしまう前に
「自分から野球を辞める人はいても、そのままトヨタを辞める人はいないんじゃないでしょうか。怒られた経験のほうが多いですが、自分を人間的に成長させてくれたのはトヨタだと胸を張って言えますし、見捨てずに僕を怒り続けてくれて本当に感謝しています。コーチとの関係も良好で、今でもご飯に行くなど、恩師だと思っています。その後は有給を使って、2021年1月中旬頃に退職して、3カ月ぐらい何もしませんでした」
トヨタ自動車といえば、日本で一番大きな売上高を誇る大企業。3億円をゆうに超える生涯年収を捨てることへの不安はなかったのだろうか。
「僕は26歳で辞めましたが、30歳までギリギリ3、4年あるし、まだリカバリーできるんじゃないかと思っていました。これが30歳を超えて、トヨタで野球をやっていましたと言っても、社会から『甘えるなよ』ということになる危機感もありました。本当は25歳で辞める予定だったので、26歳で辞めた時、『30歳まであと4年しかない!』と思いました」
ただ、退社して3カ月間、本当に何もしなかった訳ではなかった。とりあえず「名刺代わりに」本を出版しようとしていた時に、高校、大学の先輩にあたる起業家の福山敦士さんと出会った。
「福山さんに『どうやったら本が書けますか』と訪ねたところ『100社いけば1社は引っかかる』と言うんです。意外と簡単なことだと思い、そこから電話で営業をかけていって、自分に興味のある出版社を見つけました」
泥臭いことがやれる「元野球選手」の強み
そうして約半年間で10万字を書き上げ『マン振り思考 生意気小僧の僕が野球で本気になれたワケ』(東洋館出版社)の出版にこぎつけると、福山氏が当時関わっていた営業支援会社の「ギグセールス(現DORIRU)」(東京都渋谷区)を手伝うようになる。そこで、参画からわずか数カ月の短期間で営業成績トップの結果を残した。ビジネスと野球が通じていることに気づかされた瞬間だった。
「野球の経験は本当に生きています。まずは、意外とみんなやらないのですが、泥臭いこと、面倒くさいことができること。あとは、野球で得た思考の深さです。なんで打てないのかと、どうやって売り上げを作るのかって、2つとも『なぜなぜ』を考えるじゃないですか。自分は結構深くまで原因を探って、戦略を練るタイプだと思っています」
その後、「ギグセールス」で事業本部長まで上り詰め、数々の新規事業開発を経験した後、2023年に福山さんらと「マネーボール」(香川県高松市)を設立。独立リーグの「香川オリーブガイナーズ」を傘下に置き、球団経営にも携わった。
「香川でも営業活動をしていましたが、きつかったですね。ギグセールスでは1000万円とか平気で売り上げていましたが、香川では年間10万円のユニホームの広告料ですら売れないんです。商材が変わるだけで、こんなに売れないものかと感じました」