いい雰囲気を保ってコミュニケーションを取っていたのに、和を乱す一言で空気を激変させる厄介者たち。なぜ、彼らは他人の気持ちを察することができず、場をぶち壊しても平気なのか。彼らの思考と対処法を、精神科医が解説する──。

雰囲気をぶち壊す厄介者の頭の中

職場のミーティングで前向きな議論をしていたはずなのに、突然の「正論」で場が凍りつく、楽しいランチタイムのはずが、誰かの自慢話や悪口で一気に空気が重くなる──。そんな場面でモヤモヤしたときにどうすればいいか。そんな「空気をぶち壊す人」をさまざまなタイプに分けて解説していきますが、彼らの多くには共通点があります。それは「本人には空気を壊している自覚がない」あるいは「自分を守るために必死である」ということです。たとえば、正義を振りかざす人の根底には「ルサンチマン(恨み)」や「羨望」が潜んでいます。マウントを取る人の頭の中には、立派な「発信機」が備わっていますが、相手の反応を受け取る「受信機」の感度は弱い。精神分析では「無自覚型のナルシシスト」と呼びます。逆ギレや不機嫌ハラスメントをする人には、精神的な未熟さや強い防衛本能が認められます。

彼らは必ずしもあなたを困らせようとしているわけではありません。自分の承認欲求を満たすため、あるいは自分の弱さを隠すために、結果として場を壊してしまっているのです。だからといって、「彼らにも事情があるのだから」と配慮しすぎるのは考えものです。我慢して彼らを野放しにすれば、あなたの精神衛生が悪化するだけでなく、チームの士気が下がり、人間関係が破壊されてしまいます。

しかし、真正面から戦ってはいけません。彼らは性格が歪んでしまっている場合が多く、正論で指摘しても変わりませんし、むしろ逆恨みを買うリスクさえあります。「おだててかわす」「ユーモアで返す」「物理的に距離を取る」「組織としてルール(限界設定)を突きつける」。相手のタイプを見極め、大人の対応で淡々と処理することが、自分の身を守る最善策です。

そして大事なのは、「空気を読みすぎて疲れないようにする」ことです。脚本家の鴻上尚史さんが著書『「空気」と「世間」』でおっしゃっていますが、「空気とは、世間が流動化したもの」です。かつての確固たる「世間」が壊れてきた現代だからこそ、実体のない「空気」を読み合う圧力が高まり、みんなが息苦しくなっています。空気を壊す人への対処は必要ですが、それはあくまで実務的な「処世術」です。

「空気を絶対に壊してはいけない」「完全に調和させなければならない」と自分を追い込む必要はありません。理不尽な相手に対しては、割り切って対処する。それくらいの「とらわれない心」を持つことが、この空気の停滞した現代社会を生き抜くための、一番の処方箋なのかもしれません。

TYPE1 正論ニスト
片田先生のアドバイス おだてながらも「正論ですね」と皮肉で対応

「正義感」で場を凍らせる

正論を振りかざす彼らの心理を精神分析の視点でひもとくと、その根底には「ルサンチマン」が潜んでいることがわかります。ルサンチマンとはフランス語で「恨み」を意味する言葉で、非常にドロドロとした陰湿な感情を指します。ドイツの哲学者ニーチェは「正義の根底にはルサンチマンが潜んでいる」と指摘しています。

彼らは表向きには「正しいこと」を言っているように見えます。しかし、その心の奥底には、「自分だけが仲間外れにされている」という孤独感や、「他人が楽しそうにしているのが許せない」「他人が人望を集めているのが気に入らない」といった暗い感情が渦巻いているのです。

ここで重要になるのが、彼らが抱いている感情の正体です。これは、精神医学的には「羨望」と呼ぶべきものです。多くの人が混同しがちですが、「羨望」と「嫉妬」は明確に区別しなければなりません。羨望とは他人の幸福が我慢できない怒りのことです。一方で嫉妬は自分が手にするはずと思い込んでいた、あるいは手にしていた幸福を他人に奪われることへの「喪失不安」を指します。

たとえば、自分の夫が隣人の美しい奥さんと話しているのを見て抱く感情を想像してください。そのとき、「隣の奥さんの美貌が憎らしい」と思うのは「羨望」であり、「夫を寝取られるかもしれない」と不安になるのが「嫉妬」です。空気をぶち壊す「正論型」の人間が抱えているのは、主に強い「羨望」です。

彼らは、「その場で自分が一番になりたい」という強い願望を持っています。しかし現実は必ずしもそうではありません。自分よりも他の人のほうが実績はあったり、人望があったり、あるいは容姿が優れていたりします。自分が一番になりたいけれど、なれない。その現実に対するルサンチマンと、実際に一番になっている人への羨望。この2つが複雑に絡み合い、行き場のないドロドロとした感情が「正論」という反論の余地がなさそうな論理の形をとって噴出するのです。彼らが正しさを主張するのは、議論を深めるためではなく、羨ましいと思っている他者を引きずり下ろし、自分の鬱憤を晴らすためにほかなりません。