転職ロマン第6回FV

4回目の転職でロマンを見つけた、遅咲きのメガネ美人

自分のやりたい仕事や大切にしたい価値観を追求することをロマンと表現するならば、大谷翔平選手のように若くして明確な理想像を持ち、それを実行に移す姿は「早熟ロマン型」のキャリアといえる。日本ハムファイターズからエンゼルス、そしてドジャースへの移籍。彼にとってそれは、自らの理想をかなえるための当然の「転職」だったのだ。

一方、東京在住の西川美幸さん(仮名、44歳)は遅咲きロマン型だ。九州出身で地元の女子大学で食品科学を学び、栄養士免許を取得して新卒入社をしたのは地元の外食関連会社。そんな彼女が現在、東京都心に本社を構える東証プライム上場の大手メーカーで人事担当の管理職をしている。年収は900万円ほどに達している。

4回目の転職でつかみとったポジションと収入であり、今後は「人材育成と人事異動を連動させて会社全体を良くしていきたい」という野心的な目標を掲げている。それを実現するには役員を目指すしかない。ちなみに勤務先の業種は重厚長大系で、食品や健康とは関係がない。西川さんは時間をかけて自分なりのロマンを見つけたのだ。

「勤務先はいわゆるJTCです。私は人材育成や組織開発に責任があるので、『会社と社員のエンゲージメントを高めましょう』などと発言すると、プロパー社員から『エンゲージメント? 西川さんは中途入社ですね』とプロパーではないと勘づかれます(笑)。入社して1年もたたずに管理職になってしまったので、社内文化がわからず社内人脈もない状態。かなりしんどいです。組織を変えるためには上級管理職の意識から改革しなければならないのですが、長年の成功体験で固まった価値観を変えるのは並大抵のことではありません」

しんどい、と言いながらもスッキリした表情で笑う西川さん。快活な印象を受けるボブカットのメガネ美人である。2歳年下の夫は地元で公務員をしており、西川さんは「単身赴任中」なのだ。

月80時間超の残業で「夫の顔もまともに見られない」

JTCとは「ジャパニーズ・トラディショナル・カンパニー」の略語で、そこで働く若手社員が古い体質の自社を揶揄するときに使われることが多い。本連載でも大手金融機関から同じく大手金融機関に転じた男性が苦笑いしながら口にしていた(記事はこちら)。自嘲の裏側には国内エリートだという自負があることも多く、西川さんの勤務先も事務系の管理職は高学歴者ばかりのはずだ。

地元の会社で栄養士として働くはずだった西川さんはわらしべ長者的な転職を果たしたともいえる。そのわらしべ、すなわちステップアップの源泉は何なのだろうか。

「新卒入社の会社では店舗運営の現場に配属になったのですが、わずか半年で退職してしまいました。学生時代に食品の実験や研究をすることが面白くて、その気持ちが不完全燃焼のまま残っていたからです」

大学院の入学試験を受けて合格した西川さん。実家暮らしだったが、大学院の学費までを親に求めるわけにはいかない。入学する前の半年間で派遣の仕事をみっちりやって学費をためたのだという。自立心とガッツ、そして探求心が強い人だ。

「調理科学の分野で修士号を取って、企業に就職し直しました。今度も地元にある食品会社です。受託検査機関といって、食材や食品の成分分析が業務。大学の研究室で実験していたようなことがそのまま仕事になりました」

33歳のときに結婚をした西川さん。業務内容に不満はなかったが、「客の都合に合わせて徹夜も多い」働き方に疑問を抱くようになった。

「商社が輸入した食品などは港の倉庫に保管されて、検疫を受けなければなりません。当然、倉庫代はかさみます。検疫データを用意する私たちは、一日でも早く!とせかされるんです。残業が毎月のように80時間を超えていて、自動的に産業医の面談対象に。せっかく結婚したのに夫の顔もちゃんと見られない毎日はおかしいと思いました」

「人でなし」ばかりの現場で人材育成の重要性に気づく

8年目で転職を決意した西川さん。食品分析という専門性を生かすことも考えたが、長くなってきた社会人経験で人事と教育に興味が強まったと振り返る。

「その食品会社の現場には人でなしが多かったからです(笑)。理系の中でも人手が少ない分野なので、専門性さえあればいいという雰囲気でした。採用も人材育成もいい加減。『僕は自分よりも知識がある人の言うことしか聞きません』と公言するような社員もいました。その前の外食企業では言葉遣いから研修できっちりと叩き込まれたのとは対照的です。人を育てることの重要性に気づきました」

疑問や興味は気が済むまで探求したい西川さん。転職サイトを使って研修会社を見つけて、九州の支社への入社を果たした。なお、残業は少なめで個人プレーの職場ではないことも確認。ある大組織の研修所に常駐する現場責任者として、年収も100万円以上アップした。

「既存の研修プログラムのカスタマイズからテキストの準備、講師の出迎えなどのすべてが業務内容です。新入社員だけでなく、部長などの上級管理職の研修に触れることができたのが私のキャリアには大いにプラスでした」

天職ともいえる人材育成の分野と出合った西川さんは持ち前の探求心が起動。夢中で働くうちに勤務先の限界も感じ始めた。

「当然ながら、研修会社は顧客組織の人事制度には口出しできません。そこが根本的な問題だったりするのでもどかしさが募っていました」

もう一つの限界は研修対象の年齢だ。一番若くても高校卒業後の18歳の新入社員だが、それではすでに自我が確立されている。人が大きく変わる可能性があるのはもっと若い時期だと西川さんは思った。

夫の転勤で赴いた東京で見つけたチャンス

人事機能はたいてい本社に集中している。労働条件を下げずに済むような企業の本社は東京に多く、人事に携わりたいけれど九州での結婚生活も大事にしたい西川さんには転職の選択肢が少なかった。

そんなときに見つけたのが新設の通信制私立高校の人材募集。開校してまだ3年目でカリキュラムの作成から携われることが西川さんの知的好奇心を刺激した。

西川さんは教職免許を持っていない。しかし、その高校の通学コースには5教科以外に「社会課題の解決」といったテーマでの特別授業があり、担当教官になることができた。

「PBL(Project Based Learning)、課題解決型学習と呼ばれています。その学校は中学校時代に不登校だった生徒も受け入れているので個性的な子が多くて、いわゆる全日制の学校で育った私の当たり前が通用しません。遅刻厳禁など大多数の常識が、全員にとっての正解ではないことを思い知りました。教え育てるとはこういうことか、と肌で感じることができた貴重な3年間です」

しかし、結婚生活には思わぬことが起きる。公務員の夫が期間限定で東京の出先機関に異動になったのだ。勤務先の高校で長く働くことを期待されていた西川さんはしばらくリモート勤務を続けていたが、「本社」がたくさんある東京の地で事業会社の人事をどっぷり経験したい、という気持ちが抑えられなかった。

「すでに40歳を過ぎていて年齢的にも転職が難しくなるので、人事の仕事をする最後のチャンスだと思いました」

そして、冒頭で述べた大手企業の中途採用面接を受けた。工場現場も含めると7割が男性社員の老舗メーカーだが、10年ほど前からは女性総合職も新卒で採用している。上場企業なので女性管理職の存在も必要で、「ゆくゆくは管理職になってほしい」という打診も受け入れつつ入社した。

「まさかその年の冬に管理職への昇進試験を受けられるとは思っていませんでした。年収が大幅にアップしたのはさすが大企業だと感じましたし、管理職として裁量権が増えたのはありがたいです。でも、高校生と比べると大人は頑固ですね(笑)。部下に仕事の意義を伝えるようにと管理職に働きかけているのですが、『部下におもねる必要はない!』なんて反論されています。そういうことじゃないのに……」

「よそ者の仮面」で大企業の建前と本音に切り込む

西川さんを採用してくれた人事部長はジョブローテーションで他部署の管理職になってしまった。いま、西川さんの上にいる部長や人事担当取締役は人事畑ではなく、今までの経緯や現状などを入社2年目の西川さんが細かく説明しなければならない。

「組織が古くて大きいJTCの大変さを実感していますが、明文化されていない企業文化になじむしんどさは今までの勤務先でも経験していました。なじんだ頃に転職するのは非効率だし、それぞれに寂しさはあります。前職の高校からはずいぶん引き留めてもらいました。でも、今は人材育成の分野で会社全体を支える仕事がしたいのです」

そのためには各部署への根回しも必要で、西川さんは勤務先の企業文化を学びつつ社内人脈を広げる努力をしている。一方で、組織開発の担当者として「変えるべきことは変える」姿勢を維持しなければならない。

「組織になじみつつもその文化に染まり過ぎないように注意しています。まだ中途社員という『よそ者の仮面』を使えるので、言うべきことは言っていますよ。例えば、うちの会社はキャリア人事を標榜していますが、実態は会社都合のジョブローテーションです。従業員のキャリア自律を支援する仕組みにはなっていません。『おかしくないですか? キャリア人事の看板は外すべきです』と上長に進言しています」

大企業の建前と本音をあえて無視する進言である。西川さんは美人かつ嫌味のない人柄なので、幹部社員が男性ばかりの環境では波風は立てにくいだろう。しかし、本当に結果を出そうと思ったら戦いは避けられない。

転職ロマン6 イラスト
イラスト=新倉サチヨ

年収900万円と引き換えに選んだ、東京・九州の別居婚

不慣れな都会と職場で孤軍奮闘している西川さん、プライベートでは愛する夫に癒やされたいはずだが、その彼は出先機関での任期を終えて2025年の春に九州に戻ってしまった。

「退職して一緒に戻ることも考えましたが、地元には今のような業務内容と収入は期待できません。どちらもなくなるのはさすがに嫌だな、と思って別居婚をしています。私は東京で採用されたのに、夫が九州に帰ると単身赴任扱いにしてくれたんです。借り上げのマンションに住めて手当も出るし、月2回まで九州に戻る交通費を出してくれます」

さすがJTCの手厚さである。旦那さんのほうも、自分の東京転勤についてきてくれた妻が思わぬ出世を遂げて苦笑いをしているようだ。今はコーヒー教室に通うなど、九州での久しぶりの独身生活を謳歌しつつ、月2回の逢瀬を楽しんでいるらしい。

「ずっと別居婚でいいとは思っていません。夫と会えない休日は何もやることがないし……。でも、がんばって働いて実績を積めば、いずれはリモート勤務ができるかもしれません」

少し寂しげな西川さんだが、ロマンと孤独はセットなのかもしれない。その背中を見ている旦那さんが東京の企業や自治体に転職し、再び一緒に暮らすという選択肢もあると筆者は思う。

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