戦国から江戸時代の男色花盛りはよく知られるが、かの天下人、豊臣秀吉に限っては好色絶倫をもって伝えられている。有識故実家の髙山宗東さんは「男色家は風雅な人という意味で『数寄者』などとも呼ばれ、高級な趣味として尊敬すらされていた。低い身分から天下人となった秀吉はそれゆえ男色を嗜まないのだ」という――。
豊臣秀吉像
豊臣秀吉像 狩野光信画(写真=高台寺蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

男性同士の恋愛は「良きもの」な戦国~江戸時代

男性同士の同性愛は、近年だいぶ市民権を認められつつある。

明治維新から太平洋戦争までの近代日本国家は、総力をあげて「強兵」政策を押しすすめた。だから男の子は、いざという時に立派な兵として戦えるように、「男らしく」育てられなければならなかったのだ。

そうした風潮は、戦後にも多分に残っていた。今でこそ、ニューハーフや女装家、ホモセクシュアルを公表した人たちがテレビ画面をにぎわせているけれど、1980年代頃までは差別や偏見も根強く、彼らの嗜好が市民権を得ることは、なかなか難しかったのである。

してみれば明治より以前の封建時代は、さらに厳しかっただろうナ……などと、合点するのはいささか早計である。むしろ、戦国時代から江戸にかけての「武士の時代」の方が男性同士の恋愛は大っぴらにおこなわれ、社会的にもむしろ「良きもの」として認知されていたのだから……

武田信玄、上杉謙信、織田信長、伊達政宗などなど、名だたる戦国武将はみな男性同士の肉体関係を楽しんでいた。女好きの徳川家康でさえ、井伊直政とそういう関係であったという。

ホモセクシュアルな関係は「男色」とか「衆道」と呼ばれ、現在のように「そのケがある」人のみならず、男性にとって女性と関係を持つのと同じく、ごく当たり前の嗜好であった。ほとんどの人間が、バイセクシュアルだった――と言い換えてもよいだろう。

むしろコチラの趣味が無い人の方が少数派で、『老人雑話』という史料の中には、「豊臣秀吉はめずらしく男色を好まない」という意味のことが特筆されている。