男色の背景
武士の時代に男色が盛んにおこなわれた背景には、しきたりや主従関係、戦場における連帯感の想起など、武家の習俗が深くかかわっている。
例外を除いて、ふつう戦場には女性は連れて行かない。武士たちは、明日の命もわからない極限状態の緊張感を慰めるため、また共に闘う連帯感を深めるため、あるいは主君に命を捧げる証として、戦陣において男同士の契りを交わしたのであった。
また武家は、嫡子相続制が基本であった。能力が低くとも、身体が弱くても、先に生まれた長男が家を継ぎ、次男以下はそのサポートにまわる仕組みである。
そうしたしきたりのなか、結婚前の家長が正妻でない女性に子供を産ませてしまうと、正妻の子が次男以下になる可能性がおこり、御家騒動のもとになる。
だから「結婚する前は、女の尻を追いかけるより、男と関係していた方が良い」と、男色が公認されたのである。
ゆえにこそ、男の友情を深め、「あはれ」の心を育む男色は、高尚な趣味とされた。男色家はまた、風雅な人という意味で「数寄者」などとも呼ばれ、尊敬すらされたのである。
文学にも描かれたホモセクシュアル
江戸時代の文学作品にもホモセクシュアルの要素は数多く登場する。『好色一代男』の主人公世之介は、3742人という途轍もない数の女性遍歴を重ねたが、さらに725人の少年とも情を交わしたという。
『東海道中膝栗毛』の弥次さんと喜多さんも、もともとは男色の関係であったことが本文に明記されている。これらの記述に、恥じたり、憚ったりする気配は微塵もない。ホモセクシュアルの関係はそのくらいごく当たり前のこと……否、むしろカッコいいことだったのである。

