本物か偽文書か?
これは、天文十五(1546)年に書かれたと推定される、『武田晴信誓詞』の現代語訳である。書いたのは、武田信玄として後世まで知られる甲斐の虎。「誓紙」などというともっともらしいけれど、平たくいえば、武田信玄が自らの浮気で拗ねたホモセクシュアルの相手に書いた詫び状だ。
お相手の春日源助(源五郎)こと後の高坂弾正昌信は、武田四天王に数えられた猛将で、武田騎馬軍団の一翼を担う重臣であった。
武田信玄率いる甲州騎馬軍団といえば、三段撃ちの登場で鉄砲に敗れはしたものの、それまでは戦国時代最強を誇る大師団であった。その強さの秘密は、大将である信玄みずから「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」(『甲陽軍艦』)とのフィロソフィーをもって家臣を大切にし、家中の結束をかためたゆえ……と、これは現代でも社長挨拶などで、しばしば使われるエピソードである。
もちろん、武田軍団全員が男色関係で繋がっていたというわけでもないが、強さの一端は、こうした結束の固さにもあったに違いない。
ところで、東京大学史料編纂に所蔵されたこの文書には、近代以後、「花押が違う」とか「紙が新しい」など、偽文書説がたびたび出ている。近現代の価値観では、「あの武田信玄が男色好みだったわけがない」と、名将ホモセクシュアル説を認めたくないのだろう。
しかし、近世中期以前の感覚では、この文書は、主従が固い絆で結ばれていた証にほかならなかった。なるほどこの文書は、武田信玄の直筆ではないかもしれない。しかし、その家にとって大切な古文書は、紙が古くなったり、分家が独立したりする際には、そっくりに書き写し、分け与えて先祖の誇りを伝えたもの。この誓詞も、そうしたもののひとつであった可能性は、充分にあり得るのである。

